2014年06月03日
鉄子の育て方#9 時刻表について
最初は小バカにしていたけれど、すっかりはまっています、鉄子の育て方。
時刻表掲載路線、一発めくり当て。
これ、昔からやっていました。鹿児島本線とか九州は得意でしたね。
あと北陸本線とか、上越線とか。
本線は複数ページにまたがるけれど、ローカル線は1ページに収まるから、難しいです。
でも、高山本線(一応本線だけど)なんかも得意でしたね。
東北本線、常磐線とかも簡単でした。
山陰本線も。
語りだしたらきりがないです。
東海道、山陽本線が一番簡単かな。
とにかく、各路線の掲載ページの順番が頭の中に入っているからできるのです。
新幹線を筆頭に、在来線は、天下の東海道本線から始まって、最終ページに北海道が来るというのが基本でした。
東海道本線から始まり山陽本線、そしてそこから分岐する路線、伊東線とか御殿場線、飯田線、武豊線、美濃赤坂支線とか順番に並び、関西線、紀勢本線、関西系の各路線、赤穂線とか呉線とか宇部線とか岩日線、岩徳線とかが並んでいました。
それが終わると山陰本線系になり、次が四国系、九州系、北陸・信越系、高山本線は岐阜が起点なのに北陸系でした。
そして、東日本の方へ移り、中央東西系、高崎・上越系、東北・常磐系、奥羽、羽越系と東北方面に移り、最後に北海道に行くという順番でした。記憶が正しいか後日、古い時刻表を見直してみます。
昔は、東海道・山陽と、東京から下関までの下りを一気通貫に並べ、上りは下関から東京まで並べるのが基本でした。
今は、東海道の東京ー熱海で下り、上り、次に熱海ー米原、米原ー岡山、岡山ー下関でそれぞれ下り、上りという掲載順です。東北本線も山陰本線も今はその思想です。
昔は長距離客を主体に考えていたけれど、短区間利用を前提とすると、今の掲載順の方が使い勝手が良いということなんでしょう。
昔の、私が高校生の頃は、東海道・山陽は、東京ー名古屋、名古屋ー岡山、岡山ー下関・門司と三つの区切りだったけれど、新駅が増えてきて、一ページには収まらなくなって、今は四つの区切りとなっています。
東海道山陽新幹線も、昔は下りと上りを上下に一ページに並列掲載だったけれど、新駅の増加と文字も大きくなった関係で、下り上りでそれぞれ単独で一ページ使っています。
そんなこんなで、昔のままの知識だと、掲載場所を当てることも難しくなりました。それにページ数自体も30年前と比較したら相当増えているし。
昔、職場で、「何、何線調べたいの?」と聞いて、一発で目的のページを開くと、羨望と軽蔑の眼差しを受けたものです。
今はみんな、時刻表なんぞで調べず、ネットで調べるから、出番もないです。
時刻表も、JTB、日本交通公社版と弘済出版社版では、路線のページ割り振りが違っていました。
交通公社版と弘済出版版を選ぶかは、宗教の宗派みたいなもんでした。
私は、交通公社派でした。
鉄子の育て方も、幸い、JTB版です。
旧国鉄の業務用時刻表は、交通公社版でした。
国鉄業務用のは背表紙に、「日本国有鉄道」と印刷されていて、みどりの窓口に置いてあるのもそれでした。
書店などで市販されていたものは、背表紙は「日本交通公社」と記載していました。
中身の構成もやや違いました。
キオスクなどを展開し、国鉄駅構内の販売権を独占していたのは鉄道弘済会で、キオスクで売っていた時刻表は弘済出版のものしか置いていませんでした。でも本家の国鉄は、交通公社の時刻表を業務用に採用していたカラクリは、私はよく知りません。
鉄道虫メガネ、第一問は画像が出た瞬間にわかりました、南海の「ラピート」と叫んでしまいました。が、50000系とは知りませんでした。
第二問はわかりませんでした。
第三問も・・・。
ところで、鉄道テレビの女子アナ、二郷あずさ、「あずさ2号」をもじっていたということを、つい最近、やっと気がつきました。
他の登場人物は中部地区の駅名でわかりやすいですが。神宮前だの西枇杷島だの、名鉄色です。井川さくらは、大井川鉄道の井川と寝台特急さくらをかけたのかな?さくらと言えば、今は九州新幹線直通かな。
時刻表掲載路線、一発めくり当て。
これ、昔からやっていました。鹿児島本線とか九州は得意でしたね。
あと北陸本線とか、上越線とか。
本線は複数ページにまたがるけれど、ローカル線は1ページに収まるから、難しいです。
でも、高山本線(一応本線だけど)なんかも得意でしたね。
東北本線、常磐線とかも簡単でした。
山陰本線も。
語りだしたらきりがないです。
東海道、山陽本線が一番簡単かな。
とにかく、各路線の掲載ページの順番が頭の中に入っているからできるのです。
新幹線を筆頭に、在来線は、天下の東海道本線から始まって、最終ページに北海道が来るというのが基本でした。
東海道本線から始まり山陽本線、そしてそこから分岐する路線、伊東線とか御殿場線、飯田線、武豊線、美濃赤坂支線とか順番に並び、関西線、紀勢本線、関西系の各路線、赤穂線とか呉線とか宇部線とか岩日線、岩徳線とかが並んでいました。
それが終わると山陰本線系になり、次が四国系、九州系、北陸・信越系、高山本線は岐阜が起点なのに北陸系でした。
そして、東日本の方へ移り、中央東西系、高崎・上越系、東北・常磐系、奥羽、羽越系と東北方面に移り、最後に北海道に行くという順番でした。記憶が正しいか後日、古い時刻表を見直してみます。
昔は、東海道・山陽と、東京から下関までの下りを一気通貫に並べ、上りは下関から東京まで並べるのが基本でした。
今は、東海道の東京ー熱海で下り、上り、次に熱海ー米原、米原ー岡山、岡山ー下関でそれぞれ下り、上りという掲載順です。東北本線も山陰本線も今はその思想です。
昔は長距離客を主体に考えていたけれど、短区間利用を前提とすると、今の掲載順の方が使い勝手が良いということなんでしょう。
昔の、私が高校生の頃は、東海道・山陽は、東京ー名古屋、名古屋ー岡山、岡山ー下関・門司と三つの区切りだったけれど、新駅が増えてきて、一ページには収まらなくなって、今は四つの区切りとなっています。
東海道山陽新幹線も、昔は下りと上りを上下に一ページに並列掲載だったけれど、新駅の増加と文字も大きくなった関係で、下り上りでそれぞれ単独で一ページ使っています。
そんなこんなで、昔のままの知識だと、掲載場所を当てることも難しくなりました。それにページ数自体も30年前と比較したら相当増えているし。
昔、職場で、「何、何線調べたいの?」と聞いて、一発で目的のページを開くと、羨望と軽蔑の眼差しを受けたものです。
今はみんな、時刻表なんぞで調べず、ネットで調べるから、出番もないです。
時刻表も、JTB、日本交通公社版と弘済出版社版では、路線のページ割り振りが違っていました。
交通公社版と弘済出版版を選ぶかは、宗教の宗派みたいなもんでした。
私は、交通公社派でした。
鉄子の育て方も、幸い、JTB版です。
旧国鉄の業務用時刻表は、交通公社版でした。
国鉄業務用のは背表紙に、「日本国有鉄道」と印刷されていて、みどりの窓口に置いてあるのもそれでした。
書店などで市販されていたものは、背表紙は「日本交通公社」と記載していました。
中身の構成もやや違いました。
キオスクなどを展開し、国鉄駅構内の販売権を独占していたのは鉄道弘済会で、キオスクで売っていた時刻表は弘済出版のものしか置いていませんでした。でも本家の国鉄は、交通公社の時刻表を業務用に採用していたカラクリは、私はよく知りません。
鉄道虫メガネ、第一問は画像が出た瞬間にわかりました、南海の「ラピート」と叫んでしまいました。が、50000系とは知りませんでした。
第二問はわかりませんでした。
第三問も・・・。
ところで、鉄道テレビの女子アナ、二郷あずさ、「あずさ2号」をもじっていたということを、つい最近、やっと気がつきました。
他の登場人物は中部地区の駅名でわかりやすいですが。神宮前だの西枇杷島だの、名鉄色です。井川さくらは、大井川鉄道の井川と寝台特急さくらをかけたのかな?さくらと言えば、今は九州新幹線直通かな。
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この記事へのコメント
ラジオ深夜便で水間鉄道の社長さんに、インタビューしていました。
👩で僕らと同じ年です。
短大を出てから、事務員を数年やってから👰して専業主婦になり、システムエンジニアの資格を生かして、当時再建中で父親の勤めていた水間鉄道に入ったそうです。
👩で僕らと同じ年です。
短大を出てから、事務員を数年やってから👰して専業主婦になり、システムエンジニアの資格を生かして、当時再建中で父親の勤めていた水間鉄道に入ったそうです。
Posted by さよならながさき号門司港行 at 2014年06月09日 01:29