2013年09月28日
福知山線脱線事故判決
歴代社長の刑事責任を問う福知山線脱線事故の判決が出た。
予想どおりであり、私の考えどおりであった。
前に書いたが、カーブによる脱線事故の予見性と速度超過防止のATSを設置しなかったことの刑事責任を追及したものだ。
カーブでの脱線が、この場所でのカーブによる脱線事故が予見されなかったのか。予見されていて事故防止対策をしていたら事故は防げた。だからそれをしなかったのは悪いという理屈。
カーブであれば、日本全国どこの路線でも、大幅な速度超過をすれば必ず脱線する。ここに限ったことではない。この地点でカーブがきつかったから事故は予見できたという理屈は、無茶すぎる。
逆説的に言えば、どこだってカーブで大幅な速度超過で突っ込めば脱線することは予見できる。当たり前だ。車だって同じこと。
判決理由は、原因は大幅な速度超過という運転士の過失だったという、当然の判断。
ここは福知山線の改良による付け替えにより半径が狭くなり急カーブになったという特殊事情を考慮しても、その付替工事自体に過失があった訳でもなく(まあ、線路のカーブは緩いにこしたことはないが、都市部など用地確保や接続する路線との物理的状況、その他諸々の事情で理想どおりにはいかない)、経営陣がここに特定して事故を予見できたはずという訴えはおかしすぎる。
ATS設置義務を怠ったという点は、この時点で法的義務はなかった。
さらなる安全対策を怠ったら刑事罰を受けるということになったら、鉄道事業はやっていけない。もちろん法的義務はなくてもさらなる安全対策を進めることは必要だし、これまでも歴史的に見ても、鉄道会社は努力を積み重ね安全対策を進化させてきた。ATSにしても、当初からあるS型からB型、P型と、以降も私の理解の範疇を超えた新型新機能のATSへと発展してきている。
予見性とATS設置義務を焦点とした、個人の経営責任を問う刑事事件としての訴えは、法的に無理がありかぎる。
では、だれも悪くないのかという遺族の訴えも、一理ある。
JR西の運転士への教育、待遇面での問題である。
懲罰的な日勤教育による運転士へのプレッシャーを与えるような人事管理制度。そしてスピードアップによる余裕のないダイヤも、運転士へのストレス、緊張を高める要因となり、余裕を持った運転行動ができなくなったという事実は、とても重い。 これこそ、経営陣の失態であり、運転士が速度超過に陥った根本原因である。
速度超過という、この1点だけ見れば、運転士の過失以外の何も原因はない。事故予見性の理屈はここに限ったことではないし、安全設備を設けなかったら犯罪だなんてことも言える訳ない。
しかし、そのような運転ミスを引き起こした原因を作った経営陣の責任は、厳しく問わなければならない。
もし訴えるのなら、事故予見性とATSの設置義務を問うのではなくて、事故と運転士のミスを引き起こした運転士の人事管理、日勤制度などの制度を作ったことで事故を引き起こした責任を問うという、事故とJR西の人事制度、教育制度、ダイヤの問題などとの因果関係を問うものにすれば、私も納得できる。そういう意味では、経営陣は重罪だ。決して無罪とは思えない。
ただし、因果関係を認めるさせる裁判というものも大変難しいだろう。因果関係の証明というものは、別名「悪魔の証明」とも言われていて、とても困難だ。しかし、裁判官もそれならば違った判断をしてくれるかもしれない。
検察審査会による強制起訴というのも、鉄道事故のような専門性のきわめて高い案件に素人が判断するのも無理なのではないかと思う。感情的に許せないというものだと思う。法律解釈の専門家があきらめたのだから、法的解釈を下す裁判官が曲がった判断はできないはずだ。
新聞等は、遺族寄りの偏った書き方で、あれもどうかと思う。門外漢の有識者などの感情的な意見ではなく、真に専門的に冷静な人のコメントなども載せてほしい。柳田邦男さんが適任だ。
福知山線脱線事故をはじめ、鉄道、航空機事故、そして、鉄道、航空機事故よりも何百、何千倍もの数の人が命を落としている自動車交通事故、すべての事故で亡くなった方々のご冥福をお祈りします。
予想どおりであり、私の考えどおりであった。
前に書いたが、カーブによる脱線事故の予見性と速度超過防止のATSを設置しなかったことの刑事責任を追及したものだ。
カーブでの脱線が、この場所でのカーブによる脱線事故が予見されなかったのか。予見されていて事故防止対策をしていたら事故は防げた。だからそれをしなかったのは悪いという理屈。
カーブであれば、日本全国どこの路線でも、大幅な速度超過をすれば必ず脱線する。ここに限ったことではない。この地点でカーブがきつかったから事故は予見できたという理屈は、無茶すぎる。
逆説的に言えば、どこだってカーブで大幅な速度超過で突っ込めば脱線することは予見できる。当たり前だ。車だって同じこと。
判決理由は、原因は大幅な速度超過という運転士の過失だったという、当然の判断。
ここは福知山線の改良による付け替えにより半径が狭くなり急カーブになったという特殊事情を考慮しても、その付替工事自体に過失があった訳でもなく(まあ、線路のカーブは緩いにこしたことはないが、都市部など用地確保や接続する路線との物理的状況、その他諸々の事情で理想どおりにはいかない)、経営陣がここに特定して事故を予見できたはずという訴えはおかしすぎる。
ATS設置義務を怠ったという点は、この時点で法的義務はなかった。
さらなる安全対策を怠ったら刑事罰を受けるということになったら、鉄道事業はやっていけない。もちろん法的義務はなくてもさらなる安全対策を進めることは必要だし、これまでも歴史的に見ても、鉄道会社は努力を積み重ね安全対策を進化させてきた。ATSにしても、当初からあるS型からB型、P型と、以降も私の理解の範疇を超えた新型新機能のATSへと発展してきている。
予見性とATS設置義務を焦点とした、個人の経営責任を問う刑事事件としての訴えは、法的に無理がありかぎる。
では、だれも悪くないのかという遺族の訴えも、一理ある。
JR西の運転士への教育、待遇面での問題である。
懲罰的な日勤教育による運転士へのプレッシャーを与えるような人事管理制度。そしてスピードアップによる余裕のないダイヤも、運転士へのストレス、緊張を高める要因となり、余裕を持った運転行動ができなくなったという事実は、とても重い。 これこそ、経営陣の失態であり、運転士が速度超過に陥った根本原因である。
速度超過という、この1点だけ見れば、運転士の過失以外の何も原因はない。事故予見性の理屈はここに限ったことではないし、安全設備を設けなかったら犯罪だなんてことも言える訳ない。
しかし、そのような運転ミスを引き起こした原因を作った経営陣の責任は、厳しく問わなければならない。
もし訴えるのなら、事故予見性とATSの設置義務を問うのではなくて、事故と運転士のミスを引き起こした運転士の人事管理、日勤制度などの制度を作ったことで事故を引き起こした責任を問うという、事故とJR西の人事制度、教育制度、ダイヤの問題などとの因果関係を問うものにすれば、私も納得できる。そういう意味では、経営陣は重罪だ。決して無罪とは思えない。
ただし、因果関係を認めるさせる裁判というものも大変難しいだろう。因果関係の証明というものは、別名「悪魔の証明」とも言われていて、とても困難だ。しかし、裁判官もそれならば違った判断をしてくれるかもしれない。
検察審査会による強制起訴というのも、鉄道事故のような専門性のきわめて高い案件に素人が判断するのも無理なのではないかと思う。感情的に許せないというものだと思う。法律解釈の専門家があきらめたのだから、法的解釈を下す裁判官が曲がった判断はできないはずだ。
新聞等は、遺族寄りの偏った書き方で、あれもどうかと思う。門外漢の有識者などの感情的な意見ではなく、真に専門的に冷静な人のコメントなども載せてほしい。柳田邦男さんが適任だ。
福知山線脱線事故をはじめ、鉄道、航空機事故、そして、鉄道、航空機事故よりも何百、何千倍もの数の人が命を落としている自動車交通事故、すべての事故で亡くなった方々のご冥福をお祈りします。
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