2015年04月05日

渥美線跡巡りバスツアー

田原市博物館主催の、渥美線跡を巡るバスツアーという、なんともマニアックな催しに参加しました。
当日は、老若男女、20数名が集まりました。いかにも鉄道マニアという方よりも、一般の方が多い感じです。年齢層は平均して高かったです。もっとも人間、年取るとマニア臭を消して一般人になりすます傾向があるので、わかりません。参加者の中で地元のおばちゃんもいますが、マニアではなく、皆さん鉄道よりも歴史に興味があるのかなという雰囲気です。







バスに乗り込み、最初に向かった場所は加治駅跡付近。こんなバスに乗って巡ります。



この区間は戦前まで営業していた、三河田原と黒河原駅の間。残っているコン柱には渥美電鉄の社標の表示。この区間は「工杭」ではありません。








バスは黒河原駅跡地付近の大久保南交差点を右折してバイパスから旧道へ入ります。
黒河原駅は何も痕跡はないけれど、資料には詳細があります。





今の大久保南交差点、鉄道が延伸する方向は立体交差となっています。戦前のこの時代、こんな田舎で交通は人や馬車くらいだろうから、なんで立体交差にしたのか理解できません。踏切で十分だと思うけれど、戦後しばらく放置されていただろう路盤跡と駅跡がわかる昭和46年撮影の航空写真でも、立体交差が残っています。これは本当に初めて見たし、知りました。


次は野田町集落に入った地点に残る彦田橋跡。これは前回約2年前、私が一人で歩いたときには発見できなかったものです。
野田町内は圃場整備で痕跡は消失していると思っていたけれど、水路部分だけ圃場整備の地区外だったようです。





水路内には工杭がころがっています。


次は野田保育園周辺。ここが三河野田駅予定地。



敷地周辺に工杭がいくつかありました。


保育園を道を挟んだ隣の田んぼ。

保育園敷地の裏にも工杭が放置されています。



次はバスを野田市民館に止めて、野田小学校と野田中学校の中間にある小道を歩きます。この小道が路盤跡で、工杭が多数残っています。前回一人で歩いたときは工事中で通り抜けられなかったところです。




引照点の杭


こんなところです。



次は馬草と宇津江間。コンクリート擁壁とか工杭が残っています。




この写真は三河田原方向。この先に路盤が延びていたのでしょう。


足下には工杭が転がっています。


反対の宇津江方向に移動すると、工杭がいくつかあります。



次は泉市民館前をでバスを降りて徒歩移動。
宇津江から三河泉間の路盤は、以前書いたブログに書いています。今回の案内では触れられませんでした。


泉市民間は、三河泉駅跡地にあります。江比間駅という名称だと思っていたけれど、予定は「三河泉」でした。用地図でもそうあります。(博物館の展示で確認した)

ここから紺屋川へ進む道が路盤跡。工杭もあります。



紺屋川には橋台が残っています。


ここを渡っていました。



伊川津駅跡地です。前回はそうとは認識しませんでした。


前回は荒れ地だったけれど、現在なんらかの整地工事中です。もしかしたら痕跡がなくなる可能性も。


この先で大川を渡ります。そこに道路橋があります。前回は気がつかなかったけれど、説明を受けて道路橋の橋台をよく見ると古い構造物の上に新しい道路用の橋台を作っているのがわかります。ここも鉄道橋跡です。







川の中には工杭が転がっています。



次は石神交差点前後に残る築堤の路盤跡です。現在でも痕跡として残る鉄道用築堤です。

架道橋も2ヶ所残っています。


築堤の上。



築堤の横のうっそうとした林の中にも川を渡る橋跡と人道橋が残っています。この人道橋は、路盤を作ったために分断された道の付替道路としての機能があったのでしょう。今は林の中に埋もれていまっていますが。








さて、次は路盤まで完成して放置された三河福江駅予定地から先です。
ここからは路盤は建設されず、用地買収までやってストップした区間で、土木構造物はありませんが、工杭は散見しています。

三河福江駅予定地の消防署には何も痕跡はありませんが、そのすぐ先には工杭がありました。






次はバスは保美貝塚遺跡に向かいます。
ここは工杭の宝庫です。こんなにあるなんて、まったく知りませんでした。









貝塚の敷地に、墓標のように工杭が立ち並んでいる風景は、異様です。
もし鉄道が出来ていたら、この貝塚は消滅していたのでしょうか。
資料では、昭和16年の太平洋戦争直前の発掘調査時の図面に「鉄道用地」という線が描かれています。戦争が始まりうやむやのうちに建設が中断される前のことです。
その図面です。



そして最後、終点の地、伊良湖岬駅予定地。



この畑の方向が駅予定地。用地図では、終着駅なので駅構内の折り返しや留置線用地も配慮された、広めの幅の用地が確保される予定だったようです。

上の写真を撮った農業用ハウスが建つ足下にも、工杭が埋もれています。


伊良湖岬駅構内の終端部です。狭い道路のガードレールの下に工杭と引照点がありました。





こんな狭い道に、普段は歩行者などいない道にわんさかとよそ者が集まり、なにやらみんなで写真を撮っている光景は、地元の人にとっては異様なものだったでしょう。



終点は「堀切駅」という名称だと思っていたけれど、「伊良湖岬」だったんですね。まったく知りませんでした。

博物館の企画展示では、鉄道省作成の黒川原から伊良湖までの全線の用地図も展示されていました。


こんなものが現存していたなんて、なんて貴重なものなんでしょうか。豊橋鉄道が保管していたそうです。これがあれば、古地図や古い航空写真などと比較しなくても、路線を推定することは容易なことです。でも、それに頼らずにいろいろと想像しながら痕跡をつないでいく作業も楽しいものでした。

今回のバスツアーは、田原市博物館で開催された、「渥美線 渥美半島と外界をつなぐ鉄路の物語」という企画展の関連行事で企画されたものでした。

観光地でも名所旧跡でもないところにバスが止まり、正体不明な見学者がぞろぞろと歩き、コン杭や朽ち果てたコンクリート構造物を探して見ている姿は異様な風景だったことでしょう。

黒川原駅のことや、野田集落内の橋、保美貝塚、終点の伊良湖岬駅予定地など、知らないことも多く、前回自分一人で歩いたときには発見できなかったものを多数見ることができました。

バスツアーを企画してくれた田原市博物館と案内してくれた学芸員さんに感謝、感謝です。
ちなみにこのツアー、博物館の企画展が始まる前に気軽に申し込んで参加できましたが、定員に達したあとも申し込みが続出して、定員の4倍くらいの人がキャンセル待ちだったらしいです。
こんな変な企画に参加者が現れるのか危惧していたけれど、こんなに人気となるなんて思っていなかったと学芸員さんは言っていました。

前回、平成24年11月に歩いたときの記録はこちら
渥美半島の鉄道計画 渥美線探訪記



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