2015年04月12日

お気に入りの写真 昭和60年前後

昭和50年代後半から60年頃に撮った、お気に入りの写真です。
四つ切りの白黒写真をスキャンしました。
すべて、キャノンF-1、FD35~105ミリF3.5で撮影しています。
フィルムはトライX、自分で現像、引き伸ばししたものです。




山陰本線 仁万駅です。
益田発出雲市行き、DD51牽引の50系です。
この列車は夜行の上りながさき号から門司で乗り換えて、昼間の山陰本線を乗り継いで、出雲市で夜行山陰号京都行きに繫ぐことが出来る列車で、青春18きっぷでよく乗った列車です。
下校の高校生で賑わっています。この頃の地方のローカル列車は通学の高校生で賑わっていたものです。乗り合わせると混むしうるさいわで迷惑だったけれど、高校生が利用しなければ地方の鉄道は保たないでしょう。





山陰本線 餘部鉄橋です。
旧客を牽くDD51の編成です。初冬の陰鬱とした山陰特有の天気でした。
餘部は本当に何度も通いました。





同じく餘部鉄橋。この年の12月ダイヤ改正で、山陰本線から旧客は姿を消しました。その直前の写真です。
この写真を撮った約1ヶ月後、昭和61年の暮れも迫った頃、強風によりお座敷列車の落下事故が起こりました。DD51だけが鉄橋上に残り、後ろの客車がすべて落下して下のカニ加工工場を直撃、列車乗務員と工場従業員に多数の死傷者を出した悲劇でした。餘部鉄橋本体への補強工事のため橋の構造バランスが崩れたため、強風で橋自体がよじれたのも原因との説もあります。橋直下には慰霊碑があります。
その後、風速規制が厳格になり、冬期の餘部での運転抑止のため山陰本線のダイヤが乱れることが多くなりました。客車転落事故を契機に、現在のコンクリート橋への付け替えにつながりました。
いつぞやか、私が乗ったキハ58の普通列車が餘部を通過するまさにその時、橋上で強い横風を受けて、列車がドンと横に揺れたのを経験したこともあります。その時は、規制はかかっていなかったけれど、ちょうど橋上で強風の直撃を受けて、橋通過後に餘部駅へ停車して後部運転席越しに後ろを見ると、橋の手前にある強風規制の警告灯(丸く配置された5つの赤色灯がぐるぐる回り点滅するもの)が点灯していました。車掌も気づいて、ちょうど通過中に風が吹いて点いたんだなと話ました。





音威子府駅に停車中の、稚内行き急行「天北」です。雪の中を俯き歩く下車客とキハ56、好きな写真です。BGMには北の演歌ですね。
旭川発稚内行きの旧客鈍行に乗ったとき撮った写真です。待避交換待ちで長時間停車しました。音威子府駅ホームのそばは有名でした。今は駅構内で営業しているそうです。




札幌駅で発車を待つ、上り函館行き急行「ニセコ」です。
まだ地上駅だった頃の札幌駅です。
14系客車のニセコは、特急に比べて空いていて、好きな列車でした。ワイド周遊券で特急に乗れるようになっても、私はこちらを愛用していました。





金沢駅を発車した上野行き特急「白山」です。
こちらもまだ地上駅の頃の金沢駅です。
流し撮りとズーミングを同時にやって、バッチリ決まった写真なので、気に入っています。なかなかこうはうまくいきません。マニュアルでのピント合わせ、流し、ズーミング。今の方が私、写真が下手になったみたいです。
駅員さんも絶妙な位置とポーズです。


また、写真を探して、続くかも。




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この記事へのコメント
またお邪魔しますm(_ _)m

どれもこれも懐かしい写真ばかりです

偶然にも、私もNewF‐1ユーザーでして
今でも現役です

本文のみの画像なしの話題で恐縮ですが、私も山陰、ながさきについては、何度か乗車しました

もしかしたら、同じ車中で同じ時間を過ごされていたかもしれませんね
Posted by にわか者 at 2015年04月15日 22:18
ごめんなさいm(_ _)m
間違えましたm(_ _)m

NewF‐1ではなく、F‐1でしたか
F‐1は父親が使っておりまして、私は小学生時代にF‐1での駅撮りが中心でした

もちろんF‐1についても、今でも現役です
Posted by にわか者 at 2015年04月15日 22:23