2014年09月27日
宇沢弘文氏 死去 自動車の社会的費用
経済学者の宇沢弘文氏死去のニュースが新聞に掲載された。
「自動車の社会的費用」の著者であることも紹介されているが、内容の説明がおかしい。
「自動車公害の構造を分析した」とあるが、ちょっと違和感がある。広く自動車の社会的影響を論じた本である。
まえがきの一部を紹介したい。
***************
日本における自動車通行の特徴を一言にいえば、人々の市民的権利を侵害するようなかたちで自動車通行が社会的に認められ、許されているということである。ところが、自動車通行にかぎらず、すべての経済活動は多かれ少なかれ、他人の人々の市民的権利になんらかの意味で抵触せざるをえないのが現状である。このことは、産業公害の例を出すまでもないことであろう。ところが、経済活動にともなって発生する社会的費用を十分に内部化することなく、第三者、とくに低所得者層に大きく負担を転嫁するようなかたちで処理してきたのが、戦後日本経済の高度成長の過程の一つの特徴でもあるということができる。そして、自動車はまさにそのもっとも象徴的な例であるということができる。
***************
「自動車の社会的費用」の内容を一言で言えば、自動車利用者が自動車の運行に必要なすべての費用を負担していないと主張しているのだ。
諸外国と日本の交通政策の違いを述べて、日本の自動車交通の問題をあぶり出しているのである。
道路を建設・管理することはもちろん、安全運行に要するすべての費用、自動車交通が負担をかけている警察・消防・救急にかかる費用、公共交通への影響、交通事故による人命と健康の喪失、そして環境負荷、環境対策などのすべてを自動車利用者は負担していないと批判しているのだ。
自動車公害、環境負荷についてはその一部分でしかない。
特に自家用車について、税負担だけではとても自動車を広く運行する費用を負担していないとし、 「マイカー」という言葉の持つ意味を醜悪的と批判し、マイカーは所有者以外には一切の利益を生じさせることなく外部に負担だけをかけている、マイカー所有者以外にはまったく何の役にも立たない迷惑だけをかけている存在だと否定しているのである。
自動車交通の中でも、自家用車を所有していないが間接的には利益を得るトラック貨物輸送とも経済的関係を比較して、自家用車がどれだけ社会に負担を強いているかの問題を追及、批判しているのだ。
単に自動車公害とか環境問題の内容なんかでは決してない。
どうもマスコミさんは自動車を悪者にはしたくないようで、そういう書き方を意図的にするのか、それとも本を読んでいないのか。日本社会と経済にとって、自動車メーカーを敵にはできませんものね。日本人の多くもこの本の内容を理解したくもないようで、誤報とまでは言えないが、どうもマスコミは正直に内容を紹介したくないのではないかと勘ぐりたくなる。
政治家は人気取りだけのために、広く集めた国民の税金を使って財源限定で高速料金を割引、無料実験を実施した。恩恵を受けたのはまさに、自動車利用者のみである。広く国民すべてが恩恵は受けていない。自家用車利用者のみが恩恵を受けた、極めて不公平な施策であった。
自動車関連団体は、いつまでも自動車関連の税負担が重すぎると声高に主張する。
「自動車の社会的費用」を熟読してから言ってほしい。
「自動車の社会的費用」の著者であることも紹介されているが、内容の説明がおかしい。
「自動車公害の構造を分析した」とあるが、ちょっと違和感がある。広く自動車の社会的影響を論じた本である。
まえがきの一部を紹介したい。
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日本における自動車通行の特徴を一言にいえば、人々の市民的権利を侵害するようなかたちで自動車通行が社会的に認められ、許されているということである。ところが、自動車通行にかぎらず、すべての経済活動は多かれ少なかれ、他人の人々の市民的権利になんらかの意味で抵触せざるをえないのが現状である。このことは、産業公害の例を出すまでもないことであろう。ところが、経済活動にともなって発生する社会的費用を十分に内部化することなく、第三者、とくに低所得者層に大きく負担を転嫁するようなかたちで処理してきたのが、戦後日本経済の高度成長の過程の一つの特徴でもあるということができる。そして、自動車はまさにそのもっとも象徴的な例であるということができる。
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「自動車の社会的費用」の内容を一言で言えば、自動車利用者が自動車の運行に必要なすべての費用を負担していないと主張しているのだ。
諸外国と日本の交通政策の違いを述べて、日本の自動車交通の問題をあぶり出しているのである。
道路を建設・管理することはもちろん、安全運行に要するすべての費用、自動車交通が負担をかけている警察・消防・救急にかかる費用、公共交通への影響、交通事故による人命と健康の喪失、そして環境負荷、環境対策などのすべてを自動車利用者は負担していないと批判しているのだ。
自動車公害、環境負荷についてはその一部分でしかない。
特に自家用車について、税負担だけではとても自動車を広く運行する費用を負担していないとし、 「マイカー」という言葉の持つ意味を醜悪的と批判し、マイカーは所有者以外には一切の利益を生じさせることなく外部に負担だけをかけている、マイカー所有者以外にはまったく何の役にも立たない迷惑だけをかけている存在だと否定しているのである。
自動車交通の中でも、自家用車を所有していないが間接的には利益を得るトラック貨物輸送とも経済的関係を比較して、自家用車がどれだけ社会に負担を強いているかの問題を追及、批判しているのだ。
単に自動車公害とか環境問題の内容なんかでは決してない。
どうもマスコミさんは自動車を悪者にはしたくないようで、そういう書き方を意図的にするのか、それとも本を読んでいないのか。日本社会と経済にとって、自動車メーカーを敵にはできませんものね。日本人の多くもこの本の内容を理解したくもないようで、誤報とまでは言えないが、どうもマスコミは正直に内容を紹介したくないのではないかと勘ぐりたくなる。
政治家は人気取りだけのために、広く集めた国民の税金を使って財源限定で高速料金を割引、無料実験を実施した。恩恵を受けたのはまさに、自動車利用者のみである。広く国民すべてが恩恵は受けていない。自家用車利用者のみが恩恵を受けた、極めて不公平な施策であった。
自動車関連団体は、いつまでも自動車関連の税負担が重すぎると声高に主張する。
「自動車の社会的費用」を熟読してから言ってほしい。
2014年09月27日
吉田調書を読んで
朝日新聞の捏造報道をきっかけに公開された、福島原発事故の顛末を語った吉田調書の詳細な内容が新聞に掲載されました。
それを読んで感じたのは、東電上層部と官邸・政治家の情けない行動と、現場の死闘でした。
最近読んだ交通新聞社新書から出ている「青函トンネル物語」(2013年6月発行)という本の中に、こんなことが書いてありました。
青函トンネル工事中の作業坑大出水事故に対応する鉄道建設公団幹部のやりとりです。
少し長くなりますが、要旨を紹介します。
***************
公団本社午後4時
本社にいた局長の藤田(青函建設局長)は落ち着かない様子だった。本社の海峡線課では係長が中心となって現地からの情報をまとめていた。秘書室に持田次長から電話があった。
「出水が増えています。局長、帰ってください」
受話器から流れる持田の声は、いつもとまったく調子がちがっている。朝からの不安が現実となったのか、頭がカッとして体が熱くなるのを覚えた藤田は、落ち着けと肝に銘じた。
「(出水は)何トン位だ」
「わかりませんが(毎分)30トンはオーバーしています。今、バルクヘッドで防いでいますが」
「何としても、・・・水門扉を早く閉じて防げ。先進導坑は必ず守れよ」
藤田は声を荒げて次々と指示する。
「局に対策本部を設けて、君が本部長になれ。吉岡(現地)には行くな。移動すると2時間の空白が心配だ。いいか。局を動くでないぞ」
持田に伝え終えると、藤田は受話器を静かに置いた。声が大きくなり、秘書室の人達が心配そうに眺めていた。藤田は照れ隠しに「ありがとう」と言って、秘書室を出て行った。
秘書室を出た藤田は、すぐ篠原総裁に報告して、「函館に帰ります」と告げたところ、「千歳廻りで帰ったら」と言われた。時計を見ると、函館行き最終便が羽田を飛び立つ時刻だった。
「現地は混乱しており、局長が深夜、千歳へ着けば余計な手数を煩わすので列車で帰ります。私が早く着いても。津軽海峡の水を止めるわけでもないですから」
篠原は苦笑しながら、「何かやってほしいことはあるか」と言った。
大変に心強い言葉に、ありがたいと思った藤田は、「お願いは、どうか直接、総裁から私に電話をかけないで下さい。私は局で指揮をとります。現地の細かい事情のわからないのは総裁と同じです。わからない者同士の話はロクなことになりません。正式ルートで報告させますし、必要な時は、私から電話を差し上げますから、わがままと思いますがお願いします」
深々と頭を下げて部屋を出ようとすると、篠原は黙ったまま立ち上がり、藤田の肩をボンとたたいて「頼むよ」と言った。藤田は総裁の顔をジッと見たまま返事をせずに黙って、もう一度頭を下げて部屋を去った。
***************
この話しを、原発事故対応にあたる現地の吉田所長と幹部たち、東電本社の幹部たち、そして官邸の政府首脳たちに置き換えて考えました。
日本国のトップである菅首相は、パニクって何も考えずに翌日ヘリコプターで早朝に現地に行った。そのためにどれだけの人材が無駄に動員されることになったことか。そしてなにやらわめき散らしただけで帰った。結果は、吉田調書曰く、「何か怒っている様子だったが、何を言っているのかよくわからなかった」
藤田は次長の持田に決して局から動くなと指示した。総裁に報告し最速で帰れる千歳行きの飛行機に乗ることを提案されるも、「深夜に千歳に着いても迎えの手間を現場にかけるから列車で帰る、私が早く帰っても状況がよくなるものではない」と、判断します。
菅は自ら東電本社に怒鳴り込み、ただ怒鳴り散らし、罵倒した。
総裁は「何かやってほしいことはあるか」と局長に、一言だけ言う。
藤田局長は、電話を直接しないでほしい、局で指揮をとる私も細かい現地事情がわからないのは同じ、わからない者同士の話しはロクなことになりません、と応える。
この言葉こそ、今回の福島原発事故の対応と対極をなすものではないでしょうか。
東電本社と官邸が、現地のことをロクにわかっていないのに的確な助言はなしに勝手な指示命令を出し、海水注入の中断の指示を出した。
わからない者同士が勝手に暴走して、全員撤退という話しが拡散していった。
まさに、「わからない者同士の話しはロクなことになりません」ということにまったく気づいていなかった。
菅は発災の翌日に現地にヘリで飛んだ。現地の手を煩わすという気遣い、トップが本部不在となること、首相が現地に行ったって何も状況がよくなるものでもないこと、それらすべての問題点が菅はまったくわかっていない。藤田の言葉とはまさしく正反対の行動をとっています。
総裁は最後に、ポンと肩をたたいて一言「頼むよ」とだけ言います。
この鉄道公団幹部の一連の会話で読み取れるのは、総裁は局長を信頼していること、上層部は落ちついて冷静な行動を取ることが大事であり、ただやみくもに1分1秒でも早く現地に行くことよりも大事なことがあるということ、局長も現地で死にものぐるいで動いている現地の部下たちを信頼しているということが、総裁と局長の言葉から読み取れます。
「青函トンネル物語」の題名どおり、多少の脚色はあるだろうが、当時の鉄道公団はこうして青函トンネル水没の危機から脱出しました。
現代の社会、組織はどうでしょうか。何かあればトップがしゃしゃり出てきて現場を混乱させる。部下を信用していない。何かと言えばトップダウンだとぬかす。
ブラックと呼ばれる民間会社なんか特にそうだし、政治家も首長も役所も同じ、そんな傾向にあります。
菅がまさに悪例だし、橋下とか河村とかも同類でしょう。民主党も幼な過ぎた。自民党議員だって同じだ。威張り散らし官僚や現場を混乱させる勘違い議員は多数います。
「ボクが出て行かなければダメだ」なんていつも橋下は言い職員を信用しない。そのくせ災害が起こっている最中に自宅でツイッター三昧がばれると、「ボクが行かなくても電話指示で十分だ」などと言い訳け、支離滅裂だ。
やっぱり日本国という組織は、劣化していると感じざるを得ません。
政治家も企業家も、そして私自身を含む大人たちすべてが劣化しているのでしょう。
それを読んで感じたのは、東電上層部と官邸・政治家の情けない行動と、現場の死闘でした。
最近読んだ交通新聞社新書から出ている「青函トンネル物語」(2013年6月発行)という本の中に、こんなことが書いてありました。
青函トンネル工事中の作業坑大出水事故に対応する鉄道建設公団幹部のやりとりです。
少し長くなりますが、要旨を紹介します。
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公団本社午後4時
本社にいた局長の藤田(青函建設局長)は落ち着かない様子だった。本社の海峡線課では係長が中心となって現地からの情報をまとめていた。秘書室に持田次長から電話があった。
「出水が増えています。局長、帰ってください」
受話器から流れる持田の声は、いつもとまったく調子がちがっている。朝からの不安が現実となったのか、頭がカッとして体が熱くなるのを覚えた藤田は、落ち着けと肝に銘じた。
「(出水は)何トン位だ」
「わかりませんが(毎分)30トンはオーバーしています。今、バルクヘッドで防いでいますが」
「何としても、・・・水門扉を早く閉じて防げ。先進導坑は必ず守れよ」
藤田は声を荒げて次々と指示する。
「局に対策本部を設けて、君が本部長になれ。吉岡(現地)には行くな。移動すると2時間の空白が心配だ。いいか。局を動くでないぞ」
持田に伝え終えると、藤田は受話器を静かに置いた。声が大きくなり、秘書室の人達が心配そうに眺めていた。藤田は照れ隠しに「ありがとう」と言って、秘書室を出て行った。
秘書室を出た藤田は、すぐ篠原総裁に報告して、「函館に帰ります」と告げたところ、「千歳廻りで帰ったら」と言われた。時計を見ると、函館行き最終便が羽田を飛び立つ時刻だった。
「現地は混乱しており、局長が深夜、千歳へ着けば余計な手数を煩わすので列車で帰ります。私が早く着いても。津軽海峡の水を止めるわけでもないですから」
篠原は苦笑しながら、「何かやってほしいことはあるか」と言った。
大変に心強い言葉に、ありがたいと思った藤田は、「お願いは、どうか直接、総裁から私に電話をかけないで下さい。私は局で指揮をとります。現地の細かい事情のわからないのは総裁と同じです。わからない者同士の話はロクなことになりません。正式ルートで報告させますし、必要な時は、私から電話を差し上げますから、わがままと思いますがお願いします」
深々と頭を下げて部屋を出ようとすると、篠原は黙ったまま立ち上がり、藤田の肩をボンとたたいて「頼むよ」と言った。藤田は総裁の顔をジッと見たまま返事をせずに黙って、もう一度頭を下げて部屋を去った。
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この話しを、原発事故対応にあたる現地の吉田所長と幹部たち、東電本社の幹部たち、そして官邸の政府首脳たちに置き換えて考えました。
日本国のトップである菅首相は、パニクって何も考えずに翌日ヘリコプターで早朝に現地に行った。そのためにどれだけの人材が無駄に動員されることになったことか。そしてなにやらわめき散らしただけで帰った。結果は、吉田調書曰く、「何か怒っている様子だったが、何を言っているのかよくわからなかった」
藤田は次長の持田に決して局から動くなと指示した。総裁に報告し最速で帰れる千歳行きの飛行機に乗ることを提案されるも、「深夜に千歳に着いても迎えの手間を現場にかけるから列車で帰る、私が早く帰っても状況がよくなるものではない」と、判断します。
菅は自ら東電本社に怒鳴り込み、ただ怒鳴り散らし、罵倒した。
総裁は「何かやってほしいことはあるか」と局長に、一言だけ言う。
藤田局長は、電話を直接しないでほしい、局で指揮をとる私も細かい現地事情がわからないのは同じ、わからない者同士の話しはロクなことになりません、と応える。
この言葉こそ、今回の福島原発事故の対応と対極をなすものではないでしょうか。
東電本社と官邸が、現地のことをロクにわかっていないのに的確な助言はなしに勝手な指示命令を出し、海水注入の中断の指示を出した。
わからない者同士が勝手に暴走して、全員撤退という話しが拡散していった。
まさに、「わからない者同士の話しはロクなことになりません」ということにまったく気づいていなかった。
菅は発災の翌日に現地にヘリで飛んだ。現地の手を煩わすという気遣い、トップが本部不在となること、首相が現地に行ったって何も状況がよくなるものでもないこと、それらすべての問題点が菅はまったくわかっていない。藤田の言葉とはまさしく正反対の行動をとっています。
総裁は最後に、ポンと肩をたたいて一言「頼むよ」とだけ言います。
この鉄道公団幹部の一連の会話で読み取れるのは、総裁は局長を信頼していること、上層部は落ちついて冷静な行動を取ることが大事であり、ただやみくもに1分1秒でも早く現地に行くことよりも大事なことがあるということ、局長も現地で死にものぐるいで動いている現地の部下たちを信頼しているということが、総裁と局長の言葉から読み取れます。
「青函トンネル物語」の題名どおり、多少の脚色はあるだろうが、当時の鉄道公団はこうして青函トンネル水没の危機から脱出しました。
現代の社会、組織はどうでしょうか。何かあればトップがしゃしゃり出てきて現場を混乱させる。部下を信用していない。何かと言えばトップダウンだとぬかす。
ブラックと呼ばれる民間会社なんか特にそうだし、政治家も首長も役所も同じ、そんな傾向にあります。
菅がまさに悪例だし、橋下とか河村とかも同類でしょう。民主党も幼な過ぎた。自民党議員だって同じだ。威張り散らし官僚や現場を混乱させる勘違い議員は多数います。
「ボクが出て行かなければダメだ」なんていつも橋下は言い職員を信用しない。そのくせ災害が起こっている最中に自宅でツイッター三昧がばれると、「ボクが行かなくても電話指示で十分だ」などと言い訳け、支離滅裂だ。
やっぱり日本国という組織は、劣化していると感じざるを得ません。
政治家も企業家も、そして私自身を含む大人たちすべてが劣化しているのでしょう。