2014年01月19日

新幹線の車窓

 写真を随時、追加しています。
 なかなか探すのに苦労します。
 名古屋-熱海間はこの前乗ったときに、改めてブログを意識して撮りまくりました。

 ふだん乗っている新幹線。
 車内の過ごし方は人それぞれです。
 本を読んでいる人、酒を飲んでいる人、寝ているひと、外を見ている人、パソコンをいじっている人。
 私が感じる限り、寝ている、目を閉じている人が一番多くいるように感じます。
 最近は平日夕方から夜にかけて乗っても、酒を飲んでいる人はあまりいないと感じます。

 私の場合は、圧倒的に酒を飲みながら、外の景色を見ていることが多いです。もちろん仕事へ行くときは酒は飲みません。いずれにしても、外を見ているのが9割です。夜でも外を見ています。東海道新幹線は沿線が明るいし馴染みがあるから、夜でも景色はよくわかります。残り1割は酒を飲みすぎて気絶しています。
 大阪通勤時は、大阪で飲んだあとに乗車して、爆睡して名古屋停車時の客の入れ替わりの喧騒で気がついてあわてて降りたのが一回と、名古屋止まりの列車で名古屋に到着したときに親切な乗客に一回、乗務員に起こされたことが二回あるだけです。寝過ごして名古屋で降り損なったことは一度もありません。

 山陽新幹線はトンネルばかりだし、東北系は馴染みがないので、車窓も楽しくありません。

 外を見ているのが楽しいしおもしろいし、いろいろ考えながら風景を楽しんでいいます。
 そういうものだから、かなり新幹線の風景は覚えています。
 
 この前、新幹線内では本ばかり読んでいて、車窓には一切興味がなく一切見ないという友人から、何か見るべきポイントはあるかという言葉を受けたことをきっかけに、新幹線車窓の自分の視点を書き綴ってみます。


東京~新横浜
東京駅を出て山手線、京浜東北線、東海道線と併走する。その車内を上から目線でのぞき込む。
朝晩(昼でも)のラッシュのすし詰めの電車内の客を、酒を飲みながら見る。




品川駅手前で、品川折り返し用の簡易な非常用ホームがある。先日の有楽町の火災でマヒした際に、活用できなかった。
火災現場です。






品川を出て、大田区内を高架橋で走る。この辺りの地形はかなりの起伏があるが、新幹線はだいたい5階建ての建物と同じ高さを走っている。3階建てくらいの建物を見下ろす景色に、建設時の苦労がしのばれる。また、建物はびっしりと高架橋際まで建っているので、沿線はかなり圧迫感があると思う。






多摩川を渡る前後は、新幹線は急Sカーブを描いている。新幹線の車体が大きく傾く。




多摩川を渡ると、直線になるので、ここから以前は猛加速を開始したのだが、今は全列車が新横浜に停車するので、今はトロトロ走りで新横浜に停車する。

新横浜~小田原
新横浜を出てすぐ左には、未だに山林が少し残っている。この前の川崎検察逃走犯は、この付近の山で捕まった。
在来線平塚駅北西約3キロ地点、(上りの新幹線だとちょうどこのあたりで新横浜到着のアナウンスが始まる地点)に、新幹線を俯瞰できるように斜面に同じデザインの住宅がたくさん建っている。テレビでも新幹線が眺められることを売りにしていると紹介された。新幹線線路と住宅との距離もほどよく離れていて、テレビ放映されたそこから見る新幹線は美しかった。新幹線から見てもデザインが統一されていてきれいな住宅街。住んでみたいけれど、駅からは遠くて不便だろう。






小田原の手前10キロ付近は、新幹線開通前の走行実験区間(鴨宮実験線)だったので、本当に初期に建設された区間だ。

小田原~熱海
ほとんどトンネル区間となり、景色は見えない。
谷間を渡るときだけ、トンネルから一瞬出るときに海が見える。東海道線の根府川鉄橋もよほど注意して見ていれば確認できる。
熱海駅通過前でかなり減速する。熱海駅は急カーブand通過線がなく本線にホームがあるから。




熱海~三島
熱海を通過するとすぐに短いトンネルを抜けて、来宮駅と熱海温泉街、遠くに海も左手に見て、新丹那トンネルに入る。戦前の弾丸列車計画で建設されたトンネルをそのまま流用した。東海道線の丹那トンネルは難工事、出水も多く工事犠牲者も多かった。このトンネル工事の影響で直上の丹那盆地は水が枯れたという。
新丹那トンネルを抜けるとすぐ左側の、東海道線の脇に丹那トンネル工事犠牲者の慰霊碑がある。




三島の手前で大きく左へカーブして、三島駅を通過する。カーブのため少し減速し、直線となった三島駅構内手前から加速する。
三島駅通過中、車窓右側に大きく富士山が見え始まる。

三島~新富士
だいたい右側に富士山が見え隠れしている。
日本坂トンネルを抜けた直後の辺りは、一瞬だが車窓左後方に富士山が見える。基本、富士山は山側に見えるが、この付近だけ海側に見える。

新富士駅付近は製紙工場が多い。最新のN700車両だとほとんど感じなくなったが、0系時代は車内に、工場から出る独特の異臭が必ず入ってきた。今でもタンクに入っているドロドロの処理水が見える。
新富士駅通過中も右真横に富士山が見える。




新富士~静岡
新富士を通過すると東海道本線と直角に交差する。双方とも同じ方向を目指しているのに不思議な感じだ。新幹線が限りなく一直線だからとわかってはいるが。




そして富士川を渡る。富士川越しに見えるここからの富士山が一番の見所だろう。車内からも写真を撮るシャッター音が聞こえる。




在来線の東静岡を過ぎて静岡駅が近くなると沿線に様々な看板が見えるが、左側に「ここは静岡 テンジンヤ」の赤い看板も見える。静岡が本拠の惣菜など作っている食品会社だ。私はテンジンヤの惣菜が好きだ。最近はまわりに建物が増えてテンジンヤの看板もよほど注意していないと見失う。
静岡に停車するこだまに乗ったときは、必ず静岡駅の東海軒のシュウマイを買うことにしている。

静岡~掛川
左手、焼津の街とはるか遠くに海が見える辺りに、サッポロビール静岡工場がある。昔、職場の旅行で先輩がベロベロに出来上がって工場見学したことをいつも思い出す。




静岡を過ぎると、徐々に関東から中京地区の雰囲気がしてくる。中部が本拠のスーパー「ピアゴ」や葬儀の「愛昇殿」の看板が見え始める。名古屋人は静岡まで無口だが、浜松を過ぎるあたりから中部地方色が出てきて、縄張りに帰ってきた安心感から饒舌になるなどと揶揄されている。実際、中部の人はこのあたりの景色を見ると地元へ帰ってきたとの安心感を得るらしい。
幅の広い大井川を渡る。この辺り、味の素など有名大企業の工場も多い。

掛川~浜松
幅の広い天竜川を渡るともうすぐ浜松だ。この辺りもユニチャーム、ソニーなど有名大企業の工場が多い。
浜松駅は大きく左にカーブしている。そのため浜松が近づくと車体が大きく左に傾く。そして浜松を通過すると今度は右に大きくカーブするので、車体は右に傾く。浜松駅の前後は大きなSカーブとなっている。
ダイヤが乱れたときに、浜松駅通過線に臨時停車すると、車内は相当傾いた状態になり不快だ。


カメラを傾けているわけではありません。浜松駅手前、上りこだま号車内です。
この日のこだま号はガラガラでした。
名古屋-掛川間、2号車は貸切でした。掛川から1人、浜松からは2~3人くらいしか乗りませんでした。



浜松~豊橋
浜松を通過してすぐに右手にJR在来線の車両基地が見えて、たくさんの車両が留置されている。廃車解体待ちの懐かしい車両もよく見ることがある。
そしてすぐに、新幹線浜松工場からの単線の引込線が右側から寄り添ってくる。






以前テレビのクイズ番組で「新幹線に踏切はあるか?」という問題が出て、正解は「ある」だった。真相はこの引込線の途中に道路と交差する踏切があるのだが、ただ工場入りするために新幹線車両が通るだけのこの引込線を、新幹線と称してよいのか疑問だ。新幹線の営業線としては認可もされていないから、乗客を乗せた新幹線車両は走れない。物理的に新幹線車両が通る踏切ではあるが、ここを新幹線の踏切と定義できるのだろうか。この引込線が、線路に入ったりしたら罰せられるなどを規定した新幹線特例法の適用対象となっているのかも疑問だ。この引込線が新幹線特例法の適用外で営業認可されていない「ただの線路」であれば、新幹線に踏切はあるかの正解は「ない」だと思う。私はテレビを観ていて「ない」と答えた。ただし、JR東日本の山形新幹線など、在来線を走るミニ新幹線もあるので、設問に条件をつけたらきりがないし、こういう問題はふさわしくないと思うが。
浜名湖は豊橋-浜松間で見える。






浜松-豊橋間の線路は、アップダウンがかなり多い。車内をよく見ていると車両の前後の高さが違うことや前後どちらかに傾いていることもわかるのだが、よほど神経を傾けて注意していないとわからない。
スーパーの「ヤマナカ」が見えると、二川駅横を通過する。




豊橋駅が近づくと右手に「ミユキステーションホテル」が見える。ステーションホテルを名乗っているが、歩くと駅からはかなり遠い。今は「ミユキ」が取れて、「豊橋ステーションホテル」となっている。昔は「ミユキ」だった。




豊橋~三河安城
豊橋駅右手に「オーエスジー」の電光看板が見える。「オーエスジー」、「気温」、「時刻」を交互に表示している。駅に停車するこだまに乗っていれば全部見ることが出来るが、通過列車だと大概は3つのうちひとつしか見ることはできない。いつも気温が見たいのだが、なかなか果たせない。








豊川と豊川放水路を渡ると、まもなく左手、在来線の三河大塚付近にラグーナ蒲郡の広大な埋立地が見える。昔は海岸線が間近にあったのだが。




この辺りからトンネルを3つほど通過する。そのうちのひとつが「坂野坂トンネル」だ。このトンネルは幽霊が出ると開業当初からかなり有名なうわさがあった。食堂車のウエートレスが窓の外を見て気絶したとかなんやら。坂野坂トンネルの入口付近は映画の「動脈列島」の最終場面の舞台にもなった。犯人役の近藤正臣と警察の田宮二郎との緊迫したやりとりの場面だ。原作本ではブルドーザーを線路に落下させることに成功したが、映画では間一髪で止められて失敗となるのであった。
蒲郡付近でも左手に海を見ることができる。三谷温泉街も遠くに見えて、海の対岸の陸地は渥美半島だ。
東海道線の幸田駅が右手に見えて、東海道本線と斜めに交差する。




三河安城~名古屋
三河安城駅を過ぎてすぐに「ニチバン」の工場、研究所がある。ここに知る人ぞ知る有名な看板が新幹線の方を向いている。内容は「無くしてわかるありがたさ 親と健康とセロテープ」。本当にその通りだとしみじみ思う。ニチバン、上手い、座布団一枚。結構、一部の人たちには有名な看板だ。




境川を渡ると、三河から尾張になる。




丘陵地帯を切り通しで線路は通っている。伊勢湾岸道その他が交錯する高速道路の高架橋をくぐり、左手に水主が池を見ると「イオンモール大高店」がある。新しいイオンに併せて東海道本線にも南大高駅が新設された。
右手に「林テレンプ」の看板が見えるとまもなく名古屋到着の案内放送が始まる。




名古屋駅のセントラルタワーが右斜め前方に見えているが、線路は名古屋駅に近づくにつれ右にカーブしていくので、セントラルタワーはほぼ進行方向正面になっていき見えなくなる。
金山の全日空ホテルを右手に見ると、やがて東海道本線、中央線、名鉄が併走する。




出雲殿、オンワードの看板、レジャック、名鉄バスセンターから出てきてスロープで信号待ちのバスの群れなどを右手に見ながら、名古屋駅に到着する。








名古屋駅手前で上り坂となり、名古屋駅進入直前で下り坂となるので、ブレーキ操作が難しいらしい。
ホームのきしめん屋「住よし」は、金曜の夕方など大混雑している。外まで長い行列が出来ている。

名古屋~岐阜羽島
名古屋を出てしばらくは東海道本線と併走する。名鉄の栄生駅を過ぎると名鉄は右に急カーブして消えていく。そして西枇杷島駅で新幹線と直角に交差する。この辺りの名鉄の路線は曲がりくねっている。
キリンビール名古屋工場を右手に見て、清洲城が見える辺りから新幹線は左にカーブしていく。
今ある清洲城は観光用の偽物だ。本物の城跡地は新幹線の線路下らしい。
稲沢付近で右手遠くに「アピタ稲沢店」などが見える。
木曽川を渡る手前から名神高速が併走する。新幹線から見るとクルマは止まっているように見える。この区間も前に書いた映画「動脈列島」で、近藤正臣が運転するスポーツカーを新幹線と併走させて、改造無線機から新幹線のATCゼロ信号を発信して、見事新幹線を停車させるのに成功したシーンの場所だ。実際、ゼロ信号の周波数は、専門書には書いてあった。本当に可能であったのかわからないが理論上は間違ってはいないと思う。今はどうか知らないが。
岐阜羽島近くで名神高速の上を通り交差して、ラブホテルが何軒かと左手に「東横イン」が見えてくると、岐阜羽島駅だ。右手に「サンホテル」と「ホテルルートイン」が並んでいる。

岐阜羽島~米原
岐阜羽島を出てすぐに長良川を渡る。右手に元「SANYO」、現「PANASONIC」の工場が見える。「SOLER ARK」と書いてある太陽光パネルが相当昔から設置してある。元サンヨーの社宅も見える。
すぐに揖斐川を渡ると大垣市内を通過する。右手遠目に大垣市街が見える。大垣工業高校、大垣市民病院などが見える。
元近鉄養老線、現養老鉄道と交差する。




杭瀬川を渡ると、ここからスプリンクラー設置区間だ。冬期、積雪時はスプリンクラーの水を浴び始める。




白髭神社の社を囲む森を見ると、




まもなく遠くに東海道本線垂井駅と駅前通にある唯一あるマンションが見える。
この辺りから関ヶ原へ向けての20‰の急坂となる。旧0系はこの勾配では出力不足で210キロで走れなかった。
日本板ガラスなどの工場とかが沿線を連なるが、工場の水平に建っている建物と新幹線の線路構造物とを見比べると、明らかに傾いている、新幹線が上り坂を上っていることがよくわかる。
降雪期はどんどん雪深くなっていく区間だ。
関ヶ原市街地を過ぎるとすぐに東海道本線と直交する。


東海道本線の電車から撮った、新幹線の線路。

関ヶ原トンネルを抜けると、右手に伊吹山がよく見える。




 

かつて近江長岡駅と結ばれていた大阪セメントの専用線跡が見える。現在は遊歩道となっていて、ときおり通学の高校生が自転車で通っているのを見る。
東海道本線で言うと近江長岡付近、この辺りが東海道新幹線では一番平均気温が低いのではないかと思う。伊吹山の麓でもあるこの付近がもっとも雪が多く、かつ、もっとも遅くまで雪が溶けずに残っているからだ。
「ユタカドラッグ」やパチンコ屋が見えると、米原駅だ。米原駅は駅構内に唯一、スプリンクラーが設置してある。雪の中、猛スピード通過する新幹線にスプリンクラーの水がかけられていく様は迫力がある。停車列車が進入してくるとそのホーム側のスプリンクラーは自動的に停止する。


スプリンクラー、フル稼働中。


列車が進入すると、そのホーム側のスプリンクラーは停止する。


米原~京都
米原を出ると左手に鉄道総合技術研究所があり、新幹線試作車両が展示してある。
続いてヤンマーの研究所の大きな建物があり、そこに温度表示がされている。新幹線通勤時は必ずチェックしていて、気温を確認していた。雪の季節はマイナス3℃くらいにいつもなっていた。
すぐ東海道本線が斜めに交差し右手に分かれていく。




30秒ほどで、高架の新幹線高架橋を覆っている謎の構造物を一瞬くぐる。毎日新幹線に乗っていてこれに気がついた。



疑問は高まり、一度沿線の散歩を兼ねて現地を歩いてみた。そこには何も意味のないようにしか見えない立派なコンクリート構造物が、たしかにある。高架橋のコンクリートにさらに高架橋をかぶせたような構造物だ。その後ネットなどでもいろいろ調べたが、正解は出てこなかったが、昔、この周囲の山に採石場があったとのヒントがあった。鉱山かセメント山かわからないが採掘地とトラックなどに乗せる搬出場所とを結ぶ採取物を運ぶ索道がこの新幹線の頭上を横断真上を通っていたのではと推測している。地図上でもその採石地跡地と搬出場所跡地とを一直線に結ぶ間に新幹線の謎の構造物があり、さらに名神高速道路にも構造は違うが道路を覆う構造物があるのだ。万が一索道の積載物が落下してきた場合の安全施設ということだ。
右手に豊郷町で以前物議を醸した解体問題で揺れた小学校が見える。今は保存が決まり、アニメオタクの聖地となつて賑わっているらしい。
近江鉄道が右側に併走する。新幹線からもよく見える近江鉄道の愛知川の鉄橋は、とても歴史の古い桁が今でも現存して使用されている。




近江鉄道の五個荘駅を真下に見て、五個荘の町を右手に見る。遠目に「マクドナルド」や「餃子の王将」が見える。
やがてはるか遠くに「安土城」の看板も見えて、近江八幡の市街地や八幡山が遠目に見えてくる。あの山の麓には近江牛が食べられる店がいくつかある。
日野川を渡った地点右手に東海道本線の築堤が見える。篠原駅の辺りだ。
東海道本線の築堤が少しずつ下っていくと小さな家棟川が交差する。この家棟川は、以前は東海道本線の上を交差していた天井川であったが、大規模な河道改修により天井川は消滅し、河道は大きく移動した。
遠くに「ダイハツ工業」の社宅が見える地点がスプリンクラー設置の終点だ。




ここまでは線路脇の防音壁が赤黒く錆色になっているが、ここから一気に真っ白な壁になる。滋賀県の琵琶湖の湖東は地下水にたくさんの鉄分が含まれているため、地下水を使用しているスプリンクラーの水も鉄分が多く含まれているため、撒かれた水の鉄分が錆びて壁に付着しているのだ。夏は目立たなくなるが、冬ははっきりとわかる。



スプリンクラーの水の鉄分で赤茶けている。




ここがちょうどスプリンクラー設置区間終点。防音壁の右端が赤茶けているが、ここから防音壁は左側のように白くなる。


このスプリンクラー設置区間を過ぎても雪がたくさん降っていると、スプリンクラー設置区間よりも線路上の雪が増えてしまい、速度もスプリンクラー設置区間よりも落ちる。
すぐに、右手に野洲の車両基地が見える。たくさんの221系や223系が留置されている。ちょっと前までは、113系などの姿もあったが。
野洲駅前を通過するとき右手に「シティ野洲ホテル」が見える。昔は単に「野洲ホテル」という看板だったと記憶する。口頭で言うと「やすホテル」、「安ホテル」になっちゃうなと、一人揶揄していたが、いつの間にか「野洲」の前に「シティ」の文字を付け加えている。
野洲川を渡ると守山の市街地が右手に見え、守山駅周辺を高層建築物が囲んでいる。




どこかの工場に温度計の表示がある。ここでもいつも気温をチェックしていた。だいたい米原よりもプラス2℃くらいあった。
草津の市街地が右手に見える。ここも駅周辺にはマンションなどの高層ビルが林立している。
この辺りから遠くに琵琶湖の湖面を見ることができる。湖岸にあるイオンモール草津の建物も一瞬だが、確認できる。
やがて線路は右にカーブし始める。瀬田工業高校を右手に見ると、瀬田川を渡る。右手に瀬田の唐橋が見える。




音羽山トンネルに突入すると、冬期、激しい雪の中を走行してきたときは、トンネル内の温度変化により車体の付着した雪がバサバサと激しく落ちる。
山科駅南側の国道1号線と併走する。沿道には外食チェーン店がたくさん見える。「餃子の王将」、「ロイヤルホスト」、「すき家」、「ちゃんぽん亭」、「くら寿司」など。以前はこの次に全品380円と謳った看板の居酒屋があっが、閉店してしまったみたいだ。




一号線が右手に上りながら分かれると、東山トンネルに入り、そこを抜けると京都だ。
鴨川を渡り東海道本線が寄り添い、京都タワーが見えると京都駅に到着だ。

京都~新大阪
京都を出ると温度表示のあるビルが右手にある。ここでも毎回気温をチェックしていた。米原、守山、京都といつもそれぞれ2℃くらい違いがあった。名古屋-新大阪間の山側、DE席側で温度計があるのは、私が知る限りこの3ヶ所だ。
梅小路機関車館には煙を吐いている蒸気機関車が見える。
「ユアサ」の工場が右手にある。毎日乗るこだま号から見る道路には、通勤客がいつもたくさん歩いていた。
桂川を渡る。冬期、岐阜、滋賀県内の大雪の中を走行してきた場合、快晴となったここからでもなかなかスピードを上げないときがある。雪が車体にまだ付着しているので、それが落ちて跳ねる危険性があるのだろう。
向日町の車両基地の照明灯が右手遠くに見える。留置車両は残念ながら新幹線からは見えない。
名神高速と交差する地点は、岐阜羽島駅の手前と同様、名神高速を新幹線が跨ぐのだが、この跨線橋は岐阜羽島の箇所の設計をそのまま流用したとのことだ。工期が厳しいので新たな設計は間に合わなかったのだ。
「三菱電機」の工場などが右手に見える。このあたり工場や企業の流通基地建物が多い。
東海道本線の山崎駅近くのサントリーの工場も遠くに見える。
東海道本線や阪急と併走していく区間がある。阪急の駅は新幹線の真横にある。一度この駅に降りてみたい。
鳥飼基地の手前にも、新幹線を跨ぐ謎のコンクリート構造物があるが、これの正体は有名だ。新幹線建設開始時点では、貨物新幹線も走らす構想があっため、ここで貨物線を分岐させる予定だったのだ。建設が始まると貨物構想は中止となるのだが、世界銀行から新幹線の建設資金を借りるための計画、約束では貨物設備も作ることになっていたので、とりあえずこの貨物線分岐用の施設は作ったらしい。
そして広大な鳥飼基地の横を通る。車窓から見える、基地の門へ徒歩で入る人へのセキュリテイーチェックは厳しいみたいだ。
たくさんの新幹線が留置されている。私が大阪通勤を始めた頃はまだ300系も多かったが、2年間のうちに300系はほとんど消えた。




そして、工場で製作され道路を陸送されてきたN700系が搬入される風景を何度も見た。
阪急の下新庄駅、城東貨物線と「延原倉庫」を右手に見ると新大阪駅もまもなくだ。
右手のビルにちょうど新幹線の車窓目線の位置にどこかの企業の寮か何かの食堂が見える。毎朝、数人がテレビの方向に同じ向きに並んで朝食を食べている風景を目にしていた。たまに研修か何か入ったのか、満員状態のときもあった。
最近できた東横インが見えると、新大阪駅に到着だ。
私が通勤していたとき、反対ホームから鳥飼基地への回送新幹線がちょうど発車していった。その回送は、新大阪駅から鳥飼基地勤務の人の通勤用電車も兼ねていた。東京寄り16号車の一番前運転席隣のドアだけを開けていて、通勤客が乗り込む形だった。乗車は16、15、14号車まで限定で、座席のリクライニングの使用は禁止されているようで、全員が直立した座席に座っているという、妙な風景だった。
ダイヤが改正されてからは、自分が乗った新幹線が鳥飼基地脇を通過する時間に、その回送通勤新幹線がちょうど鳥飼基地に到着したところとなり、16号車から降りた人たちが1列になって建物へ向かって歩いているところを毎日見ることができた。

新大阪駅で、たまにドクターイエローが停車しているところを見た。
いつも、だいたい昼の12時30分頃に停車するダイヤだった。






名古屋ー新大阪間が、新幹線通勤で毎日見てきた景色なので、記憶は多い。基本、E席に座るので、海側の景色には疎いです。
東京ー名古屋間の新幹線で海が見えるのは、小田原ー熱海間、熱海駅先の来宮駅付近、焼津付近、三河大塚付近、最後に蒲郡付近だけだと思います。名古屋ー新大阪間では海は見えません。琵琶湖は見えますが。

車窓を見ながら、今まで書いてきたようなこんなことばかり考えていると、本当に時間が過ぎるのは早く、見所を見ようと構えていると気が抜けません。
車内でメールとか打っていると、見所を一瞬にして通過してしまい、見逃してしまいます。

≘ᒹ⊀ᒹ  

Posted by よっぱらいくま at 16:51Comments(1)TrackBack(0)新幹線