2014年01月13日
昭和55年九州旅行の写真
昭和55年、九州旅行のときの写真です。
伊田駅舎
今は田川伊田駅です。分岐する伊田線、そして糸田線は三セクの平成筑豊鉄道となりました。
国鉄時代から、このあたりの路線は複雑怪奇でした。
羽犬塚駅
矢部線に乗るため下車したときの写真。
矢部線 黒木駅
地味なローカル線でした。
原田駅
たぶん解体待ちのキハ17廃車が見えます。
筑豊本線のDD51に牽かれた50系客車がいたころも、はるか昔となりました。
枕崎駅
鹿児島交通に、国鉄の古い気動車、私が学生のときはこんな時代でした。
肥薩線 人吉-吉松間の混合列車
客車荷物郵便の合造車オハユニ61
隣の車両は貨車
JR九州の観光列車、「いさぶろう」、「しんぺい」よりも、混合列車だったこの時代が楽しかった。この頃は、鉄道ファンは乗車していても、一般の観光客は皆無でした。
肥薩線 真幸駅
スイッチバックの真幸駅は、ホームの砂利を掃ききれいな模様をつけていました。
これは、無人化と同時になくなりました。乗客が限りなく少ないからできた技でした。
肥薩線 大畑駅
スイッチバックの駅です。
時刻表の列車番号、普通列車は「混〇〇〇」と、混合列車です。
21時19分発のえびの6号熊本行きは、私、乗ったことがあります。
夜遅く、熊本に着く急行は、他に乗客はほとんどいませんでした。
まだまだたくさんあります。
また追加していきたいです。
伊田駅舎
今は田川伊田駅です。分岐する伊田線、そして糸田線は三セクの平成筑豊鉄道となりました。
国鉄時代から、このあたりの路線は複雑怪奇でした。
羽犬塚駅
矢部線に乗るため下車したときの写真。
矢部線 黒木駅
地味なローカル線でした。
原田駅
たぶん解体待ちのキハ17廃車が見えます。
筑豊本線のDD51に牽かれた50系客車がいたころも、はるか昔となりました。
枕崎駅
鹿児島交通に、国鉄の古い気動車、私が学生のときはこんな時代でした。
肥薩線 人吉-吉松間の混合列車
客車荷物郵便の合造車オハユニ61
隣の車両は貨車
JR九州の観光列車、「いさぶろう」、「しんぺい」よりも、混合列車だったこの時代が楽しかった。この頃は、鉄道ファンは乗車していても、一般の観光客は皆無でした。
肥薩線 真幸駅
スイッチバックの真幸駅は、ホームの砂利を掃ききれいな模様をつけていました。
これは、無人化と同時になくなりました。乗客が限りなく少ないからできた技でした。
肥薩線 大畑駅
スイッチバックの駅です。
時刻表の列車番号、普通列車は「混〇〇〇」と、混合列車です。
21時19分発のえびの6号熊本行きは、私、乗ったことがあります。
夜遅く、熊本に着く急行は、他に乗客はほとんどいませんでした。
まだまだたくさんあります。
また追加していきたいです。
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