2011年03月09日

筑豊本線

字数がオーバーしたので、筑豊本線の思い出をもう少し。
昭和60年頃まではたしか、寝台特急のあかつき号が筑豊本線経由で走ってました。
私は昭和56年に筑豊本線経由のあかつき号に乗ったことがあります。
鹿児島本線から筑豊本線に乗り入れると景色が一変してローカル線になりました。
そのときは朝食に鳥栖駅の駅弁を買いました。そのときが九州のかしわめしを初めて味わったときです。
実は鳥栖駅のかしわめしも好きなんです。私としてはかしわめしのナンバー2です。
そんなことを思い出しながら車窓を眺めました。

昭和の時代の筑豊本線は気道車が主役でした。
私はその頃はキハ66が好きでした。大馬力エンジンの独特な音と転換クロスシート、冷房完備など最新の車両でした。あの頃の普通列車は非冷房がほとんどで、キハ66はとても贅沢に感じました。
キハ66は急行にも運用されていて、急行のはんだ号という地味な日田彦山線の急行としても活躍していました。
はんだ号は末期にはたしか快速になったかな?

あと筑豊本線の思い出は客車列車です。
50系化が早かったので、旧客の思い出はあまりありませんが、DD51が牽引する50系には何度も乗りに行きました。
門司港発原田行きなんか長時間乗っていられて、混むこともあまりなく、社会人になってからはこれに乗るのが目的に九州へ行ったものです。
門司港発原田行きは平成10年頃まではあったかな?
その後50系客車の運用は飯塚、門司港、若松間となり、たしか平成12年か13年の筑豊本線電化時に全廃となりました。私は全廃時の最後の日に乗りに行きました。
今でも昔の雰囲気を残す筑豊本線が好きです。


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