2018年07月07日
保津峡駅 旧線廃線後
新線付替により、山陰本線旧線の保津峡駅が廃止されて約1年経った、平成2年の写真です。
新線に切り替わったのが平成元年で、平成3年からは嵯峨野観光鉄道のトロッコ保津峡駅として復活したので、この姿は2年弱の短期間のものでした。
新線に切り替わったのが平成元年で、平成3年からは嵯峨野観光鉄道のトロッコ保津峡駅として復活したので、この姿は2年弱の短期間のものでした。
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この記事へのコメント
昭和45年15才のとき旧線を通りました。
京都から客車荷物混合列車に乗り保津峡駅で下車する予定で保津峡駅に到着、デッキから飛び降りる人がいたのですがホームがなく信号待ちの停車かなと思い待っていると動き始め、次の馬堀駅まで行ってしましました。
列車の長さよりホームが短かったので東京生まれ東京育ちだった私には田舎の駅の初めての経験でした。
京都から客車荷物混合列車に乗り保津峡駅で下車する予定で保津峡駅に到着、デッキから飛び降りる人がいたのですがホームがなく信号待ちの停車かなと思い待っていると動き始め、次の馬堀駅まで行ってしましました。
列車の長さよりホームが短かったので東京生まれ東京育ちだった私には田舎の駅の初めての経験でした。
Posted by 広島機関区 at 2019年09月22日 22:19
広島機関区さま、コメントありがとうございます。
昔の長編成の客車列車は、ホームをはみ出して停車することはよくありましたね。特に最後部車両とかはよくはみ出していました。
車掌もその旨、あまり案内放送していなかった気がします。
寝台特急とかでもホームをはみ出すことはよくありました。さすがに特急だと、「何号車はホームにかからないから前の車両から降りて・・・」と放送していましたが。
手動ドアの旧客、ホームのないところから直接飛び降りても、なんの問題もない時代でした。(列車の床面は地面からは結構高いから、飛び降りるのは勇気がいりました)
昔の長編成の客車列車は、ホームをはみ出して停車することはよくありましたね。特に最後部車両とかはよくはみ出していました。
車掌もその旨、あまり案内放送していなかった気がします。
寝台特急とかでもホームをはみ出すことはよくありました。さすがに特急だと、「何号車はホームにかからないから前の車両から降りて・・・」と放送していましたが。
手動ドアの旧客、ホームのないところから直接飛び降りても、なんの問題もない時代でした。(列車の床面は地面からは結構高いから、飛び降りるのは勇気がいりました)
Posted by よっぱらいくま at 2019年09月23日 15:12