2014年06月11日

初めて橋下に賛同

 大阪市が、素行不良生徒を分離していく方針とのこと。 
 これを橋下市長が主導している。

 教育は難しい。
 
 私の中学時代、3年生のとき、担任は不良生徒にかかりっきりだった。
 可もなく不可もない、その他大勢の普通の生徒は、まったく関わってもらえなかった。

 たった1割未満の不良生徒に担任は99%の時間を使い、その他大勢の9割以上の数の私らに担任が相対する時間は1%だった。
 毒にも薬にもならない生徒は、相手にされなかった。
 当時の担任を責める気はない。学校側の命によって、不良が問題を起こさないように尽力していたのだろう。
 しかし、大多数のその他大勢の生徒は、公務員である教師からの教育というサービスを等しく受けることはなかった。
 担任にかかる教育に必要なコスト、税金のほとんどすべてが、ごく少数の不良のためにつぎ込まれたのだ。

 それでいいのだろうか。
 不良を隔離する方針は大賛成である。
 教育サービスのほとんどを不良対応に当てることが平等であるはずがない。
 
 インタビューで、不良の隔離は差別ではないかとか言っている人もいた。
 
 教育というものは、教わるのではなく、自ら学ぶものだとつくづく思う。
 教師の質に左右されるものではないのだ。
 頭のいい奴は、教師の質など関係なく自ら勉強していき、良い点数を取るのだ。
 静岡県知事が、テストの点数が悪いのは教師のせいだなどと言ったのは妄言だ。
 生徒の資質がすべてだ。
 教師のせいにするな。

 家庭や生い立ちに気の毒な面があるということで、不良化する人間に温情を与える必要はない。
 そんな状況でも、がんばってまじめに生きていく子供もいるのだ。

 そんな不良が成人し社会に出て成功したとか、真人間になって社会貢献したとかいう美談がよくある。
 ちょっと待て、結果、まじめになったとしても、そいつらが子供の頃、どれだけ普通にまじめにおとなしくやっていた多数の回りの子供たちにどれだけ迷惑をかけたのか、ちゃんと責任を取れと言いたい。
 大人になって更生したから許されると思うな。

 高校に行ってからは、受験というフィルターを通り一定レベル以上の人間の集まりとなったので、極めて快適だった。義務教育の中で相手にされなかったその他大勢も皆等しく教師に相手にされた。高校でもそれなりの悪はいたけれど、それは個性の範疇で、一般生徒に迷惑は決してかけない、いい奴らだった。義務教育が終わり不良は自然淘汰されていった。

 大多数のまじめな子供たちと、ごく一部の問題児を隔離する教育は大賛成である。



Posted by よっぱらいくま at 21:16│Comments(1)TrackBack(0)政治・社会

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この記事へのコメント
このblogを読んでて、はじめて僕の知らない君を見た気がします。
一緒に九州に行ったとき、ホームで電車を待ってたら、怒ったような顔で少し離れたところを見ていたので、そっちを見たら、つっぱり君が二人しゃがんでたので、当時は何でそんなに嫌うのかよく解らなかったけど、これで合点がいきました。
大学の友達と3人で飲んでいたとき、新潟の友人が大手町の地下鉄の表示が解りにくいと言い、もう一人が上野駅のキオスクでアルバイトをしていたとき、つまらない質問ばかりされたと言ったのに対して、ばかだばかだと言ってたのを思い出しました。
僕はそんな君に鍛えられて強くなったんだね😌
Posted by さよならながさき号門司港行 at 2014年07月08日 22:01