2018年11月10日

京浜急行 駅名変更騒ぎ

新聞などで最近、京浜急行が駅名の変更を検討しているとかで、新名称を小中学生から募るとか報道されています。
それに対しては、歴史や地名と駅名の関係などを無視するものだとの批判的意見が多いようです。

私も、一律的な公募による駅名変更には大反対です。
それも地域の歴史や文化に対しての認識については幼すぎる、小中学生だけを対象に公募するなんておかしいです。

京急は何を考えているのやら。

最近の、北斗の拳のセリフやキャラクターをもじった駅名遊びは、ユーモア感があり一時的イベントとして良いことだと思っていました。
でも、北斗の拳は、今の若者は基本、知らないと思いますけどね。私は大好きでした。

私は京急沿線、大森町駅近くで生まれ育ったので、品川-京浜川崎間の駅への思い入れは強いです。
梅屋敷、雑色、六郷土手、新馬場は元は北馬場、南馬場の2つの駅だったけれど、高架化の際にひとつになりました。異様に駅間距離が短かったと、幼かったときでも強烈に印象が残っています。青物横丁、立会川、鮫洲、大森海岸、平和島。
品川の南に位置するのに北品川。
他にも思いつくままに、追浜、金沢文庫、金沢八景、安針塚、生麦、津久井浜、三浦海岸・・・。

これらの駅名が安易に変わるなんて考えたくもありません。幼年期の思い出がなくなってしまいます。

京浜急行は関東では他の民鉄とはちがう独自路線を行くもので、鉄道ファンにも人気があります。私も大好きです。
韋駄天の走りは今でも不滅です。
私が埼玉に引っ越して東武東上線利用になったとき、京急と東武の走りの違いはとても残念でした。
途中駅を通過する池袋-成増間の急行、準急の走りはまるで覇気がなく、京急の急加速と急減速でメリハリのある走りとは正反対の、だらだらとのんびり走る東上線には幻滅したものです。

京急さんよ、何をとち狂って駅名変更なんて考えたのか。
そんなことをする京急には「おまえはもう死んでいる」と言いたい。



時刻表で確認して、川崎は「京急川崎」でした。昔は「京浜川崎」、「京浜蒲田」だった気がしますが・・・。



写真は高架化前の大森町-梅屋敷間を走る1000型快速特急。昭和55年頃。
目の前を猛スピードの大迫力で通過していきました。

写真はネガの原板そのまま。トリミング等一切していません。
たぶん、キャノンFTb、50ミリF1.8で、マニュアルフォーカス、マニュアル露出で撮っています。
今の私ではたぶん、無理。


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