2017年09月25日

新津鉄道資料館

新津鉄道資料館へ行ってきました。


新津駅からゆっくり歩いて30分弱くらいあります。
新津は鉄道の町、西の米原、東の新津と呼ばれたくらい、鉄道の要衝の地であり鉄道を中心に栄えました。
個人的には米原は学生の頃からなじみがありますが、新津を下車してゆっくり歩くのは初めてでした。

街中、鉄道の街としてアピールしています。
こんな看板があちこちの店の前にあります。


200系新幹線とC57が入口で出迎えます。


展示物の数々。





こんな時刻案内板は最近まで当たり前にあった気がしますが、過去のものとなりました。



懐かしい券売機です。
私が小学生から高校生の頃までは、当たり前の存在でした。


大人用のボタンと、子供用のボタンにはカバーがありました。

カバーを開けると。

子供用のボタンを押していた時代が、私にもありました。


単金額のもの。最低区間の30円用が一番たくさん並んでいた記憶が鮮明です。

窓口のきっぷを収納していた箱と、日付打刻機。




気動車の代表的エンジン、DMH17形式のエンジン内部と銘板。




操車場内の鉄塔にあったという、巨大な時計盤



懐かしい構内案内表示板。


急行型電車や客車、寝台車のデッキ出入口の壁に必ずあった、路線図。


手荷物、小荷物の受付に、小駅には窓口前なんかに必ず置かれていた秤。


MT54型電動機の銘板。


赤谷線の終点、東赤谷駅のポイント制御盤。
構内の勾配と線路の配置状況から、本線から駅へスイッチバックで進入するという、特殊な駅でした。




新幹線200系の連結器とカプラー。
細かい端子が無数にあって、車両間に情報を伝えていました。






毎度おなじみ、新幹線の排障器。今回は200系。
以前の記事、0系他はこちら
新幹線の排障器


200系はスノープロウとしての役割が強調された形状です。









裏側。

200系は床下機器がボディマウントされているので、着雪を防げたため、この強力な排障器で雪をラッセル、はね飛ばして高速走行できたのでしょう。


東海道新幹線0系も当初は雪を飛ばして通常走行する目論見でしたが、床下への着雪のため、ラッセル走行での通常運転はできませんでした。
沿線へのスプリンクラー設備も、上越新幹線ははんぱない威力でした。

E4系新幹線。
E何系という形式になってから、私は新幹線の形式名と実物を暗記できていません。


排障器の形状は200系から踏襲しているように思います。




車輪とディスクブレーキ。


妻面。





ロータリー除雪機とDD14。





E4系と115系


115系のブレーキ


115系の抵抗制御器ボックスと冷却ファン吸い込み口。
抵抗制御はたくさんの熱を排出するので、いまでいうエコではありません。



485系交直両用特急用電車、架線さえあればどこでも走れた万能な電車。日本各地を走った名車です。1970年代の特急の代表車。
現地では気がつかず、写真を見て気がつきましたが、屋根上の前照灯が2つ目です。
この車両は、もともと特急「いしかり」用に製造された、北海道仕様の耐寒耐雪仕様の485系1500番台ですね。
改造されているようなので、車番は変わっていたかな。車番の写真撮っていませんでした。




排障器。車体前面と、台車部と二重に取り付けられています。






銘板


車輪とディスクブレーキ


連結器


給水口


水タンクと空気溜め


洗面所の排水口


ここにトイレの汚物処理装置があったはずですが、取り外されているようです。
便器からの接続部にブルーシートがかけられていて、循環水が通るパイプも切断されています。







新津鉄道資料館は、さいたまやリニアや京都よりも規模は格段に小さいですが、マニアックなものがたくさん展示されている気がします。
昭和の券売機は、ここで初めて見ることができました。他のところにあったかな?
子供連れや素人には楽しめないかもしれないけれど、筋金入りのマニアには向いている気がしました。
私は気に入りました。人が少ないからのんびりゆっくり見られるのも良い点です。  

Posted by よっぱらいくま at 16:28Comments(1)TrackBack(0)イベント

2017年09月25日

磐越西線の旅

本当に久しぶりに、郡山と新津を結ぶ磐越西線に乗ってきました。
純粋な鉄旅も久しぶり。

最後に磐越西線に乗ったのは、まだ50系客車が走っていた頃、午後の客車列車で会津若松から新津まで乗り通したときだと思います。平成一桁だろうから、かれこれ20年以上ぶりです。
JR東のローカル線は、新型気動車ばかりだし、たいして期待もしていなかったのだけど、まだ残っているんですね、キハ47系気動車が。

郡山から会津若松は快速電車で移動。夕方の電車だったけれど、結構空いていて、これも約1時間の乗車を楽しみました。
秋の夕暮れ時、車窓から見る会津盆地の景色はきれいでした。

雲間からもれる斜光。秋のこういう景色、大好きです。秋だなあと感じます。

この日は会津若松に宿泊。
おいしい料理と地酒を楽しみました。なかなか良い店でした。若い大将が気さくな方で、おすすめの地酒を順番に薦めてくれました。


〆には、喜多方ラーメン。駅前のこの店のラーメンは基本の味。
鶏ガラと豚のスープは、豚味がやや強い、私好みの味でした。濃厚とかこってりとかの今風にない安心できる一杯でした。


宿泊したホテル、今時一泊4500円。バイキングではない、和食か洋食が選べる古いシステムの朝食と、近隣のスーパー銭湯の無料券がついて、この値段は安い。


会津若松駅前は、旧貨物扱いホームの屋根が残っていて、鉄道が活躍していた時代が偲ばれます。
わかりずらいけれど、左が駅舎、右が旧貨物取り扱いホーム跡。


会津若松駅、磐越西線はここで行き止まり。逆方向に進んで行きます。
只見線は、郡山方面からの列車と同じ向きに発車します。


折り返しとなる新津行きが到着。通勤通学客がそれなりに乗っていました。
期待したとおり、キハ47でした。さあ、旅の始まりです。


8時14分定時発。もう学校には間に合わない時間なので高校生は乗っていないとふんでいたけれど、思ったよりも高校生が乗っています。
約15分で列車は喜多方駅に到着。高校生は喜多方で降りるのかなと思っていたけれど、誰も降りません。すでに8時30分をまわっているけれど・・・。
そして、8時41分着の次の山都駅で高校生はみんな降りてしまいました。列車時刻に合わせて学校の始業時間は9時からにしているのかな。
ここですべての客が降りてしまい、車内は貸し切り状態に。

途中、尾登駅からおばあさんが乗ってきましたが、次の野沢駅で降りました。
野沢駅は9時2分着、そして発車は27分。なんと25分間も停車するのです。
昔みたいに途中駅で長時間停車する鈍行列車は、ほとんどなくなっていますが、こんなところに生きていました。
他の客は、鉄道ファンらしき客1人と私以外、ゼロ。よそ者の私ともう一人がいなければ、普段は客ゼロとなるのでしょうか。

良い雰囲気です。昔の旅のように、途中下車して、駅前を散歩しました。
今日は夜、新潟で学生時代の友人と会い、飲む約束をしているので、今日は列車内では飲むまいと決心していましたが、こんな良い雰囲気の汽車旅となってしまったからには、飲まざるを得ません。(どういう意味だか・・・)

典型的なローカル線の途中駅の駅前通りを歩き、昔ながらの酒屋をやっと見つけました。
コンビニなんて皆無です。駅から離れた主要道路沿いには、どんな田舎でもコンビニとか今風の大型商業施設があるのだろうけれど、駅近辺は時間が止まっているような景色であることが、ローカル線の駅周辺の典型です。
まだ9時過ぎだけど、酒屋は開いていて、店のおばあちゃんと地元のおばあちゃんが話し込んでいました。
アルコールが手に入ったことに感謝して、駅へ戻りました。

野沢駅、昔は急行も停車した駅です。
待合室には、ストーブがあったことを示す穴が天井にあります。冬季には石油ストーブを今でも置くのでしょうか。






待合室には、古い写真が多数展示されていました。


発車を待つ列車。25分間の停車時間、駅前を歩いて買い物もできて、写真もたくさん撮りました。



停止位置標に「雪」の文字が各駅にありました。



もう、ホームで飲み始めちゃいました。プシュー。



発車を待つ間、車掌さんともお話しをしました。この列車のスジは以前から変わっていないとのことで、野沢駅での長時間停車は変わっていないようです。景色の良いところとか、次の長時間停車駅も教えてくれました。
この親切な若い車掌さん、なんと純粋な白人系の外人さんだったのです。聞くと生まれは外国だけど、育ちは日本とのことで、車内放送とか言葉は、顔立ち以外は日本人となにも区別できませんでしたが、ネームプレートはしっかりとカタカナでした。JR入社から5年だそうです。こういうのを本当のグローバル化というのでしょうね。JR東、好感が持てました。

野沢駅を発車してからは、窓を全開にして外の景色を楽しみました。冷房も暖房も不要な、この貴重な日、この季節、窓を開けられる列車に乗れたことはなんと幸運なことでしょうか。
今や、ボックスシートで窓を開けて外の景色を楽しめる列車なんて、日本中探しても貴重なものでしょう。








窓を開けたトンネル内は轟音です。冷房車ではない昔は、真夏なら当たり前だったのになあ。トンネル内の冷気が心地よいです。煉瓦積みのトンネルの壁に、磐越西線の歴史を感じます。煉瓦積みトンネルの壁を間近に見るのは、廃線跡巡りみたいです。


徳沢駅でも、交換待ちで10分弱停車。
駅舎は郵便局を兼ねていました。





窓が開いているところが、私の席。


上りの快速は、新型気動車。あちらよりもこっちが断然良いですわ。


通過する快速と車掌さん。

津川駅でも20分近く停車。駅前を散歩しましたが、とくに何もありません。


福島から新潟への県境区間の、野沢から津川は乗客の流動がほとんどないということが、よくわかりました。土日だと別の顔を見せるのでしょうけれど。

典型的な駅前の住居地図看板。名前のある駅の隣の酒造所とか、ほとんど現存していません。




さきほど買った缶ビール2本でほろ酔いですが、飲み足りなくなったらと念のために買っておいた缶チューハイに手を出しました。何気なく賞味期限を見たら、月単位ではなく年単位で切れていました。ビールはいつものクセで製造年月は必ず買うときに確認しますが。田舎の酒屋でたま~にあるんですよね。でも、あそこで朝から営業していて酒が手に入ったことに感謝。いつまでもお店が存続することを願っています。缶チューハイ、もちろん飲みました。ビールと違って缶チューハイは、味はほとんど変わっていませんでしたので、おいしくいただきました。

五泉あたりからボチボチと乗客も増え始めましたが、混雑することなく新津に到着しました。
本当に久しぶりの、昔ながらの汽車旅を満喫しました。窓を開けて景色を何時間も楽しんだなんて、20年以上ぶりくらいかもしれません。窓を開けられる貴重な季節、時期、天候に巡り会うのは、運だと思います。
学生時代、夏の山陰本線を窓を開けた旧型客車に一日中揺られたあと、体じゅうがDD51の排気ガスと鉄臭くなったものですが、今回も近いものがありました。

到着した新津駅近くの「大将ラーメン」という店で昼食を摂りました。シンプルにラーメンを頼んだのですが、ナルト、チャーシュー、しなちく、ネギ、そしてホウレンソウが乗った、懐かしい東京ラーメン風でした。味もくどくなくおいしかったです。こういう店、近所にはないんですよね。



このあと、新津鉄道資料館へ行ってきました。
新津鉄道資料館






  

Posted by よっぱらいくま at 12:28Comments(0)TrackBack(0)乗車記 JR