2015年10月25日

ブルトレブームの頃

昭和50年代、東京駅や上野駅には休日ともなればたくさんの子供たちが集まっていました。
中心層は小学生、中学生です。
発着するブルトレを見に、撮りに、たくさん集まっていました。







はやぶさは、神田方で機回しを済ませて、ヘッドマークを見せて神田方から入線します。












12番線のみずほは、品川方から機関車を先頭に東京駅12番線に入線後、機関車を切り離して機関車は神田方へ引き上げ、機回し線の11番線を通り、機関車は品川方へ、そして12番線にある客車に連結していました。
こういった一連の作業を見るのは、本当に楽しかったものです。

今は、機回し用のの11番線はおろか、12、13番線もありません。12、13番ホームは、東海道線の優等列車、特急を「特別急行」と呼んでいた頃の優等列車専用の、誉れ高いホームでした。夕方、さくら、はやぶさ、みずほと15分おきに出発していくさまは壮観でした。そして暗くなる頃、富士、あさかぜ、瀬戸、出雲と続き、深夜のトリは急行銀河でした。



さくらが発車を待つ12番線。ここでブルトレ群を眺めながら、心は九州を夢見ていました。


今、北斗星やトワイライトの廃止騒ぎとかに集まる世代よりも、はるかに低年齢層が主だったのが昭和のブルトレファンでした。大人は鉄道には一般に興味はなかった時代で、鉄道ファンを自認するのは憚れた時代でした。ブルトレは子供の趣味みたいな見られ方でした。
今は鉄道趣味が一般化して、昭和の時代には皆無だった女子の鉄道マニア、鉄子さんまで一般化するなんて、当時と比較すると夢のようです。  

Posted by よっぱらいくま at 14:59Comments(0)TrackBack(0)昔話と昔の写真 国鉄・JR