2014年10月12日
銀塩フィルムとデジタルカメラと昔話
今更なんだけど、デジカメの性能は日々進化しています。
過去には、デジカメの創生期からのかなりの間、銀塩vsデジタルという論争がありました。
どちらが優れているのかということだけど、もう今はデジタルの画素数がフィルムの粒子の数を上回ってしまったのでしょう。
デジタルの画素数とフィルムの粒子の粒々の数は同じようなものなんでしょうかね。
フィルムの良さとアナログレコードの良さが同じようなもので、雰囲気があるとか滑らかであるとか、要するにボケ味とか性能の悪さ(違い)を味に置き換えている、感覚的なものだけでしょうね。
デジタルは1と0の情報だから、どこまで細かくなっても尖がった感覚は残るかもしれませんが、人間の目の解像度を超えた解像度と画素数にデジカメがなったとき、真にデジタルの勝利なのかなとも思います。
それでも、画素数だけでなくレンズの性能と記録容量の実用性の範囲とかいろいろ課題はまだ、これからも続くのでしょう。人間の目を超えることは永遠?にこないかもしれませんが。まあ、超えても意味もないのかな。
フィルムは芸術として今後も生きていくのでしょう。
デジカメは色再現性もすべてにおいてばらつきもないし、昔プリントを頼む際に、フイルム時代には試し焼きとか色見本を添付したとかの世界は必要なくなりました。
素人レベルでは、プリントも1枚10円でできるし、フィルムも必要ないし失敗は消去できるしで、写真にかかるコストも遙かに安くなったと思います。
しかし、昔暗室にこもって白黒写真の焼き付けをしていたのも良い思い出です。
引伸機で印画紙に焼き付けて、これも時間と絞りの関係、適正な焼き付け時間は経験と勘の世界でした。そして、現像、停止、定着の工程を経て、水洗いと乾燥で、写真が仕上がります。
これを書いていて記憶が甦ってきました。現像液はコレクトールとかND-76、フィルム用が72だったかな?、停止液は酢酸、これは臭かった、そして定着液はスーパーフィックスだったかな?水洗い促進のQWとか、乾燥でむらなく仕上げるドライウエルとかもあったな。コダックの製品と富士フイルムの製品をよく使っていました。NDは中外製薬だったかな?これも常用していました。
強アルカリ性の現像液を強酸性の停止液で中和、現像の化学変化を停止させてから定着液という理屈でした。
白黒フィルムは、ネオパンSSとかネオパン400とかあったけれど、私はコダックのASA400のトライXが常用でした。それも長尺といって100フィートだったかな、36枚撮りを約20本作れる缶に入ったのを購入して、カラのパトローネに詰め替えて使用していました。そういう利用者のために、昔はヨドバシカメラの店内とかにカラのパトローネを大量に置いてあって自由に持ち帰ることができました。その後、カラのパトローネも簡単に分離できないようロックというか窪みをつけるようになって再使用できなくなり、カラのパトローネの入手も困難になりました。
写真やカメラの仕組み、理論を学べたのは、やはりフィルムカメラのおかげだったと思います。
基本のシャッター速度と絞りの関係とか絞りを絞ると被写界深度が深くなってピントの合う範囲が広がるとか、逆に一点だけピントを合わせたけれど絞り開放にするとか。
光をフィルム面に当てるのがセンサーに当てることにデジタルで変わったけれど、そこまでの工程は今も昔も変わらないからシャッター速度と絞りの関係は今でも学べるのかな。
連写なんか出来なかったから、走ってくる列車に合わせてマニュアル操作でピントを合わせてシャッターと、一発勝負でした。私は三脚嫌いなので、基本、置きピンという技は使いませんでした。あの緊張感はたまらなかったなあ。特にさくら号やはやぶさ号などを狙っているときの高揚感は今は経験できません。
横走りフォーカルプレーンシャッターのキャノンF-1とかだと、走行する列車を真横から撮影する場合、シャッター幕と同方向に走る列車と、逆方向に走る列車を撮影する場合、逆方向の方がブレが少ないとか、広田尚敬氏の本で知りました。
フィルムカメラは一眼レフからなんでも持っているけれど、デジカメはコンパクトしか未だ持っていない私です。でも十分です。でも、スマホで写真を撮るのは今でも好きになれません。スマホ内蔵カメラがどんなに性能が上がろうと、操作性はカメラ専用機の方が優れていると思います。
過去には、デジカメの創生期からのかなりの間、銀塩vsデジタルという論争がありました。
どちらが優れているのかということだけど、もう今はデジタルの画素数がフィルムの粒子の数を上回ってしまったのでしょう。
デジタルの画素数とフィルムの粒子の粒々の数は同じようなものなんでしょうかね。
フィルムの良さとアナログレコードの良さが同じようなもので、雰囲気があるとか滑らかであるとか、要するにボケ味とか性能の悪さ(違い)を味に置き換えている、感覚的なものだけでしょうね。
デジタルは1と0の情報だから、どこまで細かくなっても尖がった感覚は残るかもしれませんが、人間の目の解像度を超えた解像度と画素数にデジカメがなったとき、真にデジタルの勝利なのかなとも思います。
それでも、画素数だけでなくレンズの性能と記録容量の実用性の範囲とかいろいろ課題はまだ、これからも続くのでしょう。人間の目を超えることは永遠?にこないかもしれませんが。まあ、超えても意味もないのかな。
フィルムは芸術として今後も生きていくのでしょう。
デジカメは色再現性もすべてにおいてばらつきもないし、昔プリントを頼む際に、フイルム時代には試し焼きとか色見本を添付したとかの世界は必要なくなりました。
素人レベルでは、プリントも1枚10円でできるし、フィルムも必要ないし失敗は消去できるしで、写真にかかるコストも遙かに安くなったと思います。
しかし、昔暗室にこもって白黒写真の焼き付けをしていたのも良い思い出です。
引伸機で印画紙に焼き付けて、これも時間と絞りの関係、適正な焼き付け時間は経験と勘の世界でした。そして、現像、停止、定着の工程を経て、水洗いと乾燥で、写真が仕上がります。
これを書いていて記憶が甦ってきました。現像液はコレクトールとかND-76、フィルム用が72だったかな?、停止液は酢酸、これは臭かった、そして定着液はスーパーフィックスだったかな?水洗い促進のQWとか、乾燥でむらなく仕上げるドライウエルとかもあったな。コダックの製品と富士フイルムの製品をよく使っていました。NDは中外製薬だったかな?これも常用していました。
強アルカリ性の現像液を強酸性の停止液で中和、現像の化学変化を停止させてから定着液という理屈でした。
白黒フィルムは、ネオパンSSとかネオパン400とかあったけれど、私はコダックのASA400のトライXが常用でした。それも長尺といって100フィートだったかな、36枚撮りを約20本作れる缶に入ったのを購入して、カラのパトローネに詰め替えて使用していました。そういう利用者のために、昔はヨドバシカメラの店内とかにカラのパトローネを大量に置いてあって自由に持ち帰ることができました。その後、カラのパトローネも簡単に分離できないようロックというか窪みをつけるようになって再使用できなくなり、カラのパトローネの入手も困難になりました。
写真やカメラの仕組み、理論を学べたのは、やはりフィルムカメラのおかげだったと思います。
基本のシャッター速度と絞りの関係とか絞りを絞ると被写界深度が深くなってピントの合う範囲が広がるとか、逆に一点だけピントを合わせたけれど絞り開放にするとか。
光をフィルム面に当てるのがセンサーに当てることにデジタルで変わったけれど、そこまでの工程は今も昔も変わらないからシャッター速度と絞りの関係は今でも学べるのかな。
連写なんか出来なかったから、走ってくる列車に合わせてマニュアル操作でピントを合わせてシャッターと、一発勝負でした。私は三脚嫌いなので、基本、置きピンという技は使いませんでした。あの緊張感はたまらなかったなあ。特にさくら号やはやぶさ号などを狙っているときの高揚感は今は経験できません。
横走りフォーカルプレーンシャッターのキャノンF-1とかだと、走行する列車を真横から撮影する場合、シャッター幕と同方向に走る列車と、逆方向に走る列車を撮影する場合、逆方向の方がブレが少ないとか、広田尚敬氏の本で知りました。
フィルムカメラは一眼レフからなんでも持っているけれど、デジカメはコンパクトしか未だ持っていない私です。でも十分です。でも、スマホで写真を撮るのは今でも好きになれません。スマホ内蔵カメラがどんなに性能が上がろうと、操作性はカメラ専用機の方が優れていると思います。