2014年02月22日
あけぼの号立ち往生顚末記 豪雪災害
今年3月のダイヤ改正で、上野と青森を結ぶ、伝統あるそして最後まで唯一残った昔ながらの寝台特急「あけぼの」号が廃止になります。
2月14日金曜日、青森発上野行きの「あけぼの」の寝台券が手に入ったので、お別れ乗車に行きました。
実は、当初は2月16日、上野発青森行きの下り列車を、1ヶ月前の10時にみどりの窓口で求めたのだけど、瞬時に売り切れて手に入らなかったのです。それで2日前の14日発の上りは発売開始から2日も経過していたにも関わらず下段もいくつか空いていて、難なく下段寝台が買えました。
16日の寝台券が買えなかったことは、あとになってとても幸運な結果となったのでした。
さて、14日夕方金曜日の青森駅は、東京と変わらないような通勤客もたくさんいて、たった2両の「青い森鉄道」に詰め込まれていました。昔は最低4両の12系か50系客車で、もっとのんびりした雰囲気だったのになあと思ってしまいました。
青森駅の発車待ちの「あけぼの」です。
周りには撮り鉄がたくさんいます。通路にでかい三脚を立てて構えているのは感心しません。駅構内やホームでは三脚使用は慎むべきです。はっきり言って邪魔。
私はコンパクトデジカメでストロボ禁止で手持ちですが、十分です。
写真を撮る鉄道マニアの数に比べて、列車に乗り込んだのはその半数くらいに見えました。
あけぼのは定刻に、青森駅を発車しました。
乗客はマニアもいるけれど、一般客もそれなりにいます。1ヶ月前に瞬殺で売り切れる「あけぼの」もあるのだけど・・・
車内では地酒のワンカップを飲みながら、ゆっくり過ごしました。ときおり鳴る汽笛が、昔ながらの寝台列車の旅を盛り上げます。車内もとても静かです。昼間から酒を飲んでいたので、21時21分着の秋田まではなんとか起きていたけれど、秋田発車時点で寝ました。
なんとなく、長岡での機関車交換をおぼろげに覚えていますが、夢うつつ状態でした。しかし、長岡を発車するとなぜか目が覚めて、それからはカーテンで閉ざされた寝台の中から、雪深くなっていく車窓を眺めていました。午前2時頃です。
列車が止まりました。外は相当雪が降っています。雪で進めなくなったのかなとも思ったけれど、ここまでは普通のスピードで走っていたから、止まったのが不思議でした。私はなんとなく越後湯沢かなと思っていました。列車はまったく動かなくなりました。先頭から2両目に乗っていたので、機関車のブロアーが止まるのもわかりました。
どこの駅かまったくわからなかったので、スマホの地図アプリを起動させて現在位置を確認したら、浦佐駅でした。
浦佐に停車したのは、午前2時半頃です。
これから、まったく眠れなくなりました。動いていない寝台列車はとても不自然でした。雪は降り続いています。どんどん周囲の積雪量が増えていきます。ホームには散水しているのだけど、止まったときよりもどんどんと雪が積もり続けます。
深夜、ずーと止まったままの「あけぼの」。雪はいよいよ強く降り続けます。
車内放送もありません。鉄道無線が聞ける無線機を持ってくればよかったと、後悔しました。
午前6時になれば放送も入るだろうと、横になってぼーとしたり、外を見たりの繰り返しで、果たして午前6時を2~3分過ぎた頃、車内放送が入りました。
要するに「動く見込みはない、それ以上もそれ以下も情報はない」という内容でした。
朝食も取れないしと、昨夜のつまみの残りを食べて過ごしました。
携帯でワンセグのテレビを観ていると、首都圏をはじめ、大雪でとんでもない状況になっていることもわかりました。鉄道はJRも私鉄もほぼ全滅です。実はこの日は大事な予定があったのだけど、これでは無理と悟りました。もう知らんと達観しました。
午前8時を過ぎた頃、8号車のドアを開けるという放送が入りました。私はJRが朝食を配給してくれるかなと期待していましたが、駅の売店で勝手に買えということでした。
浦佐駅は新幹線停車駅です。改札外に売店もありますが、「あけぼの」の乗客が群がり長蛇の列が出来ていました。車窓から外にセブンイレブンがあることはわかっていたので、外のセブンに行きました。そちらはまだあけぼのの客は来ていませんでした。
どうせ動く見込みはないしと、開き直って、ビールや日本酒やらも買い込み、とても不通となった列車の乗客には見えない買い物をしてしまいました。もちろんおにぎりとかも買いましたよ。セブンのおいしいコーヒーもね。
列車が止まったときの、食糧確保は絶対の鉄則です。
その後もまったく動きません。買った酒を飲んで朝からご機嫌なんだけど、車内放送は一定間隔で、「動く見込みなし」と案内していました。駅の売店も落ち着いて、新聞を買ったり、追加の飲み物を買ったりして、午前が過ぎていきました。駅の売店も外のセブンも、まともな食べ物は「あけぼの」の客にほとんど買われてなくなってしまいました。そのうち外のセブンに配送車が着いたのを確認しました。
車外に出て、ホームで写真を撮ったりして過ごしました。
機関車の前も雪に埋もれています。
昼頃になり、昼飯を買いにセブンに行きました。結構なんでもあったので、オムライスを買いました。寝台車の中でコンビニ弁当を2食も食べることになるとは・・・。
酒も飲んでのんびりしながら過ごし、午後になっていきました。深夜2時半頃の停車してからもう10時間かなんて思っていました。
雪は降り続いています。
そのうち、機関車がなぜか切り離されていて、新潟方へ去っていきました。
なんだなんだと、最後尾に行くと、係員が連結の準備をしていました。
機関車は新潟方に連結されました。前に進むのは無理だと明確となりました。
車内で待っていると、予告もなく「列車は運転打ち切り」「東京まで別ルートで行くか、秋田方面に戻るか、宿泊して翌日の新幹線に乗るか、選択せよ」という内容で、とにかくバスに案内するので降りろというものでした。
長岡方面の新幹線は動きだしたので、秋田方面戻り組は新幹線に乗って新潟から「いなほ」に案内されるということで、バスには東京行き組と宿泊組が乗り込みました。
東京へは六日町から「ほくほく線」に乗り金沢へ。乗り継いで米原経由で新幹線で東京まで行くというものでした。JRからの案内は、「ほくほく線」も混んでいるしダイヤも乱れている。東京まで今日中に着けるか保証はしないという内容でした。それでも行くというチャレンジャーが2割くらいバスから降りていきました。
さて、宿泊組は越後湯沢のホテルへと案内されました。スキーシーズンの土曜日、よく100人弱くらいの部屋を急遽準備できたものだと感心したけれど、東京方面からは高速も新幹線も止まっているからキャンセルもあったのでしょうか。
案内されたホテルはスキー場に面した、一流リゾートホテルで豪華なところでした。しかも一泊二食までつけてくれました。
普通に宿泊したらいったいいくらかかるのか。豪華なディナーバイキングに、朝食も贅沢なバイキングでした。
ディナーでは自腹でワインのフルボトルも入れたりして十分楽しみました。一流のサービスと料理に幸せ気分です。
JR東としてはたぶん、「びゅう」とかの旅行商品でこのホテルへもたくさん客を送り込んでいるはずだから、この「あけぼの」不通のための代替宿泊は格安で契約したのだろうけれど、自分では絶対泊まれない金額でしょう。
もちろん翌日の新幹線は、「あけぼの」の寝台券を見せればOKということでした。
あけぼのには終点まで乗れなかったし、まる1日分損したけれど、ここまでやってくれたらもう文句は言えません。原因が近年まれに見る豪雪で、ここまで降れば、私が普段言っているような除雪設備の不備や人的不足の範疇を超えた雪害ですから。案内スタッフも新潟支社の事務職や保線担当の作業服のベテランもいて、仕事は休みだったけれど動員されたと話していました。
米原経由組は無事に当日中に東京に着けたのでしょうか。
さらには、当日東京着をあきらめ越後湯沢に宿泊を選んだのだけど、実は温泉につかり豪華ディナーバイキングを食べたあとの夜8時半頃にフロントから、「東京行きの新幹線が1本動くので乗る気があれば案内する」とJRから連絡があったがどうするかと部屋へ電話があったのです。温泉に食事に酒と十分にくつろいでいて今更動く気はなかったので、丁重にお断りしました。だって、翌日の朝食も楽しみだったんですもの。乗ったとしたら、米原経由よりは先に東京に着くはずです。
そう考えると、米原経由を選択していたらと、ぞっとしました。
かようなJRからの厚遇を受けたけれど、列車に乗る前と乗ってしまってからの扱いは天と地ほどの差があるのは規則上もあきらかです。一度乗せて動いてしまったら、元に戻るのもすべてタダだし、先へ行けなくなればとにかく代替手段を講じてくりたり、最悪、今回のように宿泊まで手配してもらえます。
それが発車前の運休決定だと、きっぷは無手数料で払い戻すだけ。他の手段は自分で手配してね、ということなんです。
今回の雪害で中央東線のあずさが立ち往生して、乗客が駅の会議室などで仮眠したと報道されていました。これも人数と寝台特急と一般の特急の違いで待遇に差が出たのだと思います。
こういうことになるから、「トワイライトエクスプレス」、「北斗星」、「カシオペア」、そして「あけぼの」と、大雪や台風などの予報が出ると、たいしたことないのにすぐに運休を決め込むのだと、改めて思いました。途中で止まったときのことを思うと、JRの立場としては。
翌日は酒代だけフロントに支払って宿をあとにして、越後湯沢から東京までノンストップの新幹線に乗りました。東京駅の混乱と、大宮までの各駅で通過線が除雪されていない関係で各駅停車(客扱いはなし)で行ったから、50分くらい遅れました。
越後湯沢駅はさすが豪雪地帯だけあって、スプリンクラーの数と勢いが半端なく、線路にはまったく雪がなかったけれど、大清水トンネルを抜けて本来からっ風の吹いている関東平野は一面の大雪でした。当然、線路にスプリンクラーもなく、線路は雪に埋もれていました。
この設備の違いが雪に強い天下の上越新幹線を運休にしたのでしょう。史上まれに見る大雪だから設備の違いを責めることは、絶対にできません。こんな場合は。
越後湯沢駅周辺の線路に雪はありません。
東海道新幹線のスプリンクラーと比べて、数とパワーがまったく違います。
高崎駅は・・・
これでは首都圏は大混乱も仕方ないかと。
今回の関東地方の大雪、普段から雪が降らない地区にこれに対応する除雪設備等をふだんから整備しておくことは不可能でしょう。
この日から19日まで、高崎線、上越線が不通のため「あけぼの」号は上下とも運休となりました。
16日の寝台券が取れなくてよかった。
2月14日金曜日、青森発上野行きの「あけぼの」の寝台券が手に入ったので、お別れ乗車に行きました。
実は、当初は2月16日、上野発青森行きの下り列車を、1ヶ月前の10時にみどりの窓口で求めたのだけど、瞬時に売り切れて手に入らなかったのです。それで2日前の14日発の上りは発売開始から2日も経過していたにも関わらず下段もいくつか空いていて、難なく下段寝台が買えました。
16日の寝台券が買えなかったことは、あとになってとても幸運な結果となったのでした。
さて、14日夕方金曜日の青森駅は、東京と変わらないような通勤客もたくさんいて、たった2両の「青い森鉄道」に詰め込まれていました。昔は最低4両の12系か50系客車で、もっとのんびりした雰囲気だったのになあと思ってしまいました。
青森駅の発車待ちの「あけぼの」です。
周りには撮り鉄がたくさんいます。通路にでかい三脚を立てて構えているのは感心しません。駅構内やホームでは三脚使用は慎むべきです。はっきり言って邪魔。
私はコンパクトデジカメでストロボ禁止で手持ちですが、十分です。
写真を撮る鉄道マニアの数に比べて、列車に乗り込んだのはその半数くらいに見えました。
あけぼのは定刻に、青森駅を発車しました。
乗客はマニアもいるけれど、一般客もそれなりにいます。1ヶ月前に瞬殺で売り切れる「あけぼの」もあるのだけど・・・
車内では地酒のワンカップを飲みながら、ゆっくり過ごしました。ときおり鳴る汽笛が、昔ながらの寝台列車の旅を盛り上げます。車内もとても静かです。昼間から酒を飲んでいたので、21時21分着の秋田まではなんとか起きていたけれど、秋田発車時点で寝ました。
なんとなく、長岡での機関車交換をおぼろげに覚えていますが、夢うつつ状態でした。しかし、長岡を発車するとなぜか目が覚めて、それからはカーテンで閉ざされた寝台の中から、雪深くなっていく車窓を眺めていました。午前2時頃です。
列車が止まりました。外は相当雪が降っています。雪で進めなくなったのかなとも思ったけれど、ここまでは普通のスピードで走っていたから、止まったのが不思議でした。私はなんとなく越後湯沢かなと思っていました。列車はまったく動かなくなりました。先頭から2両目に乗っていたので、機関車のブロアーが止まるのもわかりました。
どこの駅かまったくわからなかったので、スマホの地図アプリを起動させて現在位置を確認したら、浦佐駅でした。
浦佐に停車したのは、午前2時半頃です。
これから、まったく眠れなくなりました。動いていない寝台列車はとても不自然でした。雪は降り続いています。どんどん周囲の積雪量が増えていきます。ホームには散水しているのだけど、止まったときよりもどんどんと雪が積もり続けます。
深夜、ずーと止まったままの「あけぼの」。雪はいよいよ強く降り続けます。
車内放送もありません。鉄道無線が聞ける無線機を持ってくればよかったと、後悔しました。
午前6時になれば放送も入るだろうと、横になってぼーとしたり、外を見たりの繰り返しで、果たして午前6時を2~3分過ぎた頃、車内放送が入りました。
要するに「動く見込みはない、それ以上もそれ以下も情報はない」という内容でした。
朝食も取れないしと、昨夜のつまみの残りを食べて過ごしました。
携帯でワンセグのテレビを観ていると、首都圏をはじめ、大雪でとんでもない状況になっていることもわかりました。鉄道はJRも私鉄もほぼ全滅です。実はこの日は大事な予定があったのだけど、これでは無理と悟りました。もう知らんと達観しました。
午前8時を過ぎた頃、8号車のドアを開けるという放送が入りました。私はJRが朝食を配給してくれるかなと期待していましたが、駅の売店で勝手に買えということでした。
浦佐駅は新幹線停車駅です。改札外に売店もありますが、「あけぼの」の乗客が群がり長蛇の列が出来ていました。車窓から外にセブンイレブンがあることはわかっていたので、外のセブンに行きました。そちらはまだあけぼのの客は来ていませんでした。
どうせ動く見込みはないしと、開き直って、ビールや日本酒やらも買い込み、とても不通となった列車の乗客には見えない買い物をしてしまいました。もちろんおにぎりとかも買いましたよ。セブンのおいしいコーヒーもね。
列車が止まったときの、食糧確保は絶対の鉄則です。
その後もまったく動きません。買った酒を飲んで朝からご機嫌なんだけど、車内放送は一定間隔で、「動く見込みなし」と案内していました。駅の売店も落ち着いて、新聞を買ったり、追加の飲み物を買ったりして、午前が過ぎていきました。駅の売店も外のセブンも、まともな食べ物は「あけぼの」の客にほとんど買われてなくなってしまいました。そのうち外のセブンに配送車が着いたのを確認しました。
車外に出て、ホームで写真を撮ったりして過ごしました。
機関車の前も雪に埋もれています。
昼頃になり、昼飯を買いにセブンに行きました。結構なんでもあったので、オムライスを買いました。寝台車の中でコンビニ弁当を2食も食べることになるとは・・・。
酒も飲んでのんびりしながら過ごし、午後になっていきました。深夜2時半頃の停車してからもう10時間かなんて思っていました。
雪は降り続いています。
そのうち、機関車がなぜか切り離されていて、新潟方へ去っていきました。
なんだなんだと、最後尾に行くと、係員が連結の準備をしていました。
機関車は新潟方に連結されました。前に進むのは無理だと明確となりました。
車内で待っていると、予告もなく「列車は運転打ち切り」「東京まで別ルートで行くか、秋田方面に戻るか、宿泊して翌日の新幹線に乗るか、選択せよ」という内容で、とにかくバスに案内するので降りろというものでした。
長岡方面の新幹線は動きだしたので、秋田方面戻り組は新幹線に乗って新潟から「いなほ」に案内されるということで、バスには東京行き組と宿泊組が乗り込みました。
東京へは六日町から「ほくほく線」に乗り金沢へ。乗り継いで米原経由で新幹線で東京まで行くというものでした。JRからの案内は、「ほくほく線」も混んでいるしダイヤも乱れている。東京まで今日中に着けるか保証はしないという内容でした。それでも行くというチャレンジャーが2割くらいバスから降りていきました。
さて、宿泊組は越後湯沢のホテルへと案内されました。スキーシーズンの土曜日、よく100人弱くらいの部屋を急遽準備できたものだと感心したけれど、東京方面からは高速も新幹線も止まっているからキャンセルもあったのでしょうか。
案内されたホテルはスキー場に面した、一流リゾートホテルで豪華なところでした。しかも一泊二食までつけてくれました。
普通に宿泊したらいったいいくらかかるのか。豪華なディナーバイキングに、朝食も贅沢なバイキングでした。
ディナーでは自腹でワインのフルボトルも入れたりして十分楽しみました。一流のサービスと料理に幸せ気分です。
JR東としてはたぶん、「びゅう」とかの旅行商品でこのホテルへもたくさん客を送り込んでいるはずだから、この「あけぼの」不通のための代替宿泊は格安で契約したのだろうけれど、自分では絶対泊まれない金額でしょう。
もちろん翌日の新幹線は、「あけぼの」の寝台券を見せればOKということでした。
あけぼのには終点まで乗れなかったし、まる1日分損したけれど、ここまでやってくれたらもう文句は言えません。原因が近年まれに見る豪雪で、ここまで降れば、私が普段言っているような除雪設備の不備や人的不足の範疇を超えた雪害ですから。案内スタッフも新潟支社の事務職や保線担当の作業服のベテランもいて、仕事は休みだったけれど動員されたと話していました。
米原経由組は無事に当日中に東京に着けたのでしょうか。
さらには、当日東京着をあきらめ越後湯沢に宿泊を選んだのだけど、実は温泉につかり豪華ディナーバイキングを食べたあとの夜8時半頃にフロントから、「東京行きの新幹線が1本動くので乗る気があれば案内する」とJRから連絡があったがどうするかと部屋へ電話があったのです。温泉に食事に酒と十分にくつろいでいて今更動く気はなかったので、丁重にお断りしました。だって、翌日の朝食も楽しみだったんですもの。乗ったとしたら、米原経由よりは先に東京に着くはずです。
そう考えると、米原経由を選択していたらと、ぞっとしました。
かようなJRからの厚遇を受けたけれど、列車に乗る前と乗ってしまってからの扱いは天と地ほどの差があるのは規則上もあきらかです。一度乗せて動いてしまったら、元に戻るのもすべてタダだし、先へ行けなくなればとにかく代替手段を講じてくりたり、最悪、今回のように宿泊まで手配してもらえます。
それが発車前の運休決定だと、きっぷは無手数料で払い戻すだけ。他の手段は自分で手配してね、ということなんです。
今回の雪害で中央東線のあずさが立ち往生して、乗客が駅の会議室などで仮眠したと報道されていました。これも人数と寝台特急と一般の特急の違いで待遇に差が出たのだと思います。
こういうことになるから、「トワイライトエクスプレス」、「北斗星」、「カシオペア」、そして「あけぼの」と、大雪や台風などの予報が出ると、たいしたことないのにすぐに運休を決め込むのだと、改めて思いました。途中で止まったときのことを思うと、JRの立場としては。
翌日は酒代だけフロントに支払って宿をあとにして、越後湯沢から東京までノンストップの新幹線に乗りました。東京駅の混乱と、大宮までの各駅で通過線が除雪されていない関係で各駅停車(客扱いはなし)で行ったから、50分くらい遅れました。
越後湯沢駅はさすが豪雪地帯だけあって、スプリンクラーの数と勢いが半端なく、線路にはまったく雪がなかったけれど、大清水トンネルを抜けて本来からっ風の吹いている関東平野は一面の大雪でした。当然、線路にスプリンクラーもなく、線路は雪に埋もれていました。
この設備の違いが雪に強い天下の上越新幹線を運休にしたのでしょう。史上まれに見る大雪だから設備の違いを責めることは、絶対にできません。こんな場合は。
越後湯沢駅周辺の線路に雪はありません。
東海道新幹線のスプリンクラーと比べて、数とパワーがまったく違います。
高崎駅は・・・
これでは首都圏は大混乱も仕方ないかと。
今回の関東地方の大雪、普段から雪が降らない地区にこれに対応する除雪設備等をふだんから整備しておくことは不可能でしょう。
この日から19日まで、高崎線、上越線が不通のため「あけぼの」号は上下とも運休となりました。
16日の寝台券が取れなくてよかった。