2012年04月23日
なつかしの列車 ながさき号
この前のダイヤ改正では、日本海号などの名門列車が廃止になりました。
過去のあまり有名ではない地味な列車の廃止の際には、たびたび最終日に立会いました。
今回は、昭和59年の2月に廃止となった「ながさき号」の最終日のことを書きます。
ながさき号は、九州の門司港駅と長崎・佐世保駅の間を走っていた夜行普通列車で、旧型客車で運転されていて、B寝台車が1両だけ連結されていた以外はすべて普通車自由席でした。
直接の廃止の理由は、このダイヤ改正で国鉄から郵便輸送がすべて撤退したことです。深夜に各駅に郵便を輸送する必要がなくなったことが、この列車の必要性がなくなったのです。
長崎を発車する上りが1日早く最終運転となり、下りの門司港発は改正前日が最終運転となりました。そのため、上りと下りの両方の最終列車に乗ることができました。でも、記憶に残っているというか楽しかったのは上りの最終でした。この日は始発の長崎駅は冷たい雨でした。それが途中から雪となり、九州地方でも珍しい大雪となっていったのです。
長崎駅で発車を待つながさき号を牽引するDD51の先頭には特製ヘッドマークがついてます。
ホームと改札口の様子です。鉄道ファンで大混雑だと思っていたけれど、たいした人数ではありませんでした。
最近の鉄道ブームのさなかとは比べ物になりません。本当の鉄道ファンしかこういうイベントには参加しない時代でした。今は新幹線何系がなくなるとかをはじめとして、地方の小鉄道のことでも人がわんさかと集まりますもんね。それに鉄道ファンよりも素人の含有率が高くもなっています。それがいいのか悪いのか、どうなんでしょうかね。
ホームではお別れ式典も行われました。人も少なく写真を撮るのも楽でした。
長崎駅発は23時で、いつものように遅い通勤客も乗せたながさき号は特に混んでもいませんでした。
ながさき号は長崎を出ると大村線を経由して、早岐駅で佐世保からの編成を連結するという遠回りでのんびりと行ったのです。あまりにも走行区間が短いので、夜行列車としては遠回りがちょうどよいのでしょう。
早岐駅をはじめ大きめな途中駅では長時間停車しました。
早岐駅で佐世保編成とながさき編成を連結するところです。
たしか佐世保編成は早岐到着後、いったんホームから引き上げてから長崎編成と連結したはずで、佐世保編成へ乗り移って客車の連結部に立って写真を撮るなんてこともできました。
早岐駅溝内です。
機関車のSGからは、もうもうと客車へ送る暖房用の蒸気が出ています。九州の客車は電暖ではなく蒸気暖房でした。電暖対応は寒く雪が多い東北や北陸が多く、九州や四国なんかは蒸気暖房だった気がしますが、間違っているでしょうか。でも、北海道は蒸気だったかな。ED75の機関車側面に電暖の電気を送っている印の側灯が光っていたのを思い出します。電暖対応の客車は2000番台でしたよね、たしか。
ブルトレなどのように冷暖房用の電源がない客車列車は消滅してしまったから、客車の暖房方式なんて話しも過去のことです。
東海道線を疾走するSG搭載のEF58から蒸気がもうもうと出ているシーンはかっこよかったなあー。
車内は、通勤客が降りたあとはがらがらで、とても最終日とは思えませんでした。
1ボックスひとりで悠々できました。空いているボックスのいくつもありました。
通常はほとんで人は乗ってなかったような記憶があるのですが・・・。
最終日のお別れ乗車で大混雑なんてことはまったくなかったです。
途中から大雪となってきました。
肥前山口駅です。
深夜の2時か3時頃ですが、がんばって起きていました。
夜が明けると、沿線は雪景色でした。
たしか終点の門司港には雪の影響で、1時間近く遅れて到着したと記憶しています。
博多あたりから朝の通勤客が乗りはじめ、小倉駅到着直前が一番混んだように記憶しています。
門司港駅に到着したときにもさよならセレモニーもありました。
さて、門司港に到着した当日、門司港発下りの本当の最終ながさき号が夜に出発します。
本当に最後の出発だけど、なぜかなんのセレモニーもなかったと記憶します。
なんにも写真が残っていないので。
朝の到着セレモニーですべて終わってしまったようで、なんか拍子抜けで、最終列車に乗っても雰囲気はいまひとつでした。
セレモニーは昨日の上り列車ですべて、長崎駅も門司港駅も終わらせてしまったようでした。
門司港発長崎駅は小倉からは相当の通勤客も乗せました。いつもの風景のようで、鉄道ファンもあまり乗っていなかったような気がします。
博多駅でも長時間停車。博多駅の表示です。
通勤客もほとんど降りて、ながさき号車内はがらがらとなりました。
さすがに前日はほとんど寝なかったので、下り最終の車内ではほとんど寝てしまったと思います。
いつものように長崎駅に着いて、セレモニーもありませんでした。
だから、下り最終ながさき号の写真はほとんどありません。
こういう終わり方は、なんかさびしく、長崎駅に到着後は脱力したような気がします。
次回は、京都と出雲市間を走っていた客車鈍行の山陰号の最終日のことを書く予定です。
さよならながさき号の記念入場券が出てきました。
当時の新聞記事です。
過去のあまり有名ではない地味な列車の廃止の際には、たびたび最終日に立会いました。
今回は、昭和59年の2月に廃止となった「ながさき号」の最終日のことを書きます。
ながさき号は、九州の門司港駅と長崎・佐世保駅の間を走っていた夜行普通列車で、旧型客車で運転されていて、B寝台車が1両だけ連結されていた以外はすべて普通車自由席でした。
直接の廃止の理由は、このダイヤ改正で国鉄から郵便輸送がすべて撤退したことです。深夜に各駅に郵便を輸送する必要がなくなったことが、この列車の必要性がなくなったのです。
長崎を発車する上りが1日早く最終運転となり、下りの門司港発は改正前日が最終運転となりました。そのため、上りと下りの両方の最終列車に乗ることができました。でも、記憶に残っているというか楽しかったのは上りの最終でした。この日は始発の長崎駅は冷たい雨でした。それが途中から雪となり、九州地方でも珍しい大雪となっていったのです。
長崎駅で発車を待つながさき号を牽引するDD51の先頭には特製ヘッドマークがついてます。
ホームと改札口の様子です。鉄道ファンで大混雑だと思っていたけれど、たいした人数ではありませんでした。
最近の鉄道ブームのさなかとは比べ物になりません。本当の鉄道ファンしかこういうイベントには参加しない時代でした。今は新幹線何系がなくなるとかをはじめとして、地方の小鉄道のことでも人がわんさかと集まりますもんね。それに鉄道ファンよりも素人の含有率が高くもなっています。それがいいのか悪いのか、どうなんでしょうかね。
ホームではお別れ式典も行われました。人も少なく写真を撮るのも楽でした。
長崎駅発は23時で、いつものように遅い通勤客も乗せたながさき号は特に混んでもいませんでした。
ながさき号は長崎を出ると大村線を経由して、早岐駅で佐世保からの編成を連結するという遠回りでのんびりと行ったのです。あまりにも走行区間が短いので、夜行列車としては遠回りがちょうどよいのでしょう。
早岐駅をはじめ大きめな途中駅では長時間停車しました。
早岐駅で佐世保編成とながさき編成を連結するところです。
たしか佐世保編成は早岐到着後、いったんホームから引き上げてから長崎編成と連結したはずで、佐世保編成へ乗り移って客車の連結部に立って写真を撮るなんてこともできました。
早岐駅溝内です。
機関車のSGからは、もうもうと客車へ送る暖房用の蒸気が出ています。九州の客車は電暖ではなく蒸気暖房でした。電暖対応は寒く雪が多い東北や北陸が多く、九州や四国なんかは蒸気暖房だった気がしますが、間違っているでしょうか。でも、北海道は蒸気だったかな。ED75の機関車側面に電暖の電気を送っている印の側灯が光っていたのを思い出します。電暖対応の客車は2000番台でしたよね、たしか。
ブルトレなどのように冷暖房用の電源がない客車列車は消滅してしまったから、客車の暖房方式なんて話しも過去のことです。
東海道線を疾走するSG搭載のEF58から蒸気がもうもうと出ているシーンはかっこよかったなあー。
車内は、通勤客が降りたあとはがらがらで、とても最終日とは思えませんでした。
1ボックスひとりで悠々できました。空いているボックスのいくつもありました。
通常はほとんで人は乗ってなかったような記憶があるのですが・・・。
最終日のお別れ乗車で大混雑なんてことはまったくなかったです。
途中から大雪となってきました。
肥前山口駅です。
深夜の2時か3時頃ですが、がんばって起きていました。
夜が明けると、沿線は雪景色でした。
たしか終点の門司港には雪の影響で、1時間近く遅れて到着したと記憶しています。
博多あたりから朝の通勤客が乗りはじめ、小倉駅到着直前が一番混んだように記憶しています。
門司港駅に到着したときにもさよならセレモニーもありました。
さて、門司港に到着した当日、門司港発下りの本当の最終ながさき号が夜に出発します。
本当に最後の出発だけど、なぜかなんのセレモニーもなかったと記憶します。
なんにも写真が残っていないので。
朝の到着セレモニーですべて終わってしまったようで、なんか拍子抜けで、最終列車に乗っても雰囲気はいまひとつでした。
セレモニーは昨日の上り列車ですべて、長崎駅も門司港駅も終わらせてしまったようでした。
門司港発長崎駅は小倉からは相当の通勤客も乗せました。いつもの風景のようで、鉄道ファンもあまり乗っていなかったような気がします。
博多駅でも長時間停車。博多駅の表示です。
通勤客もほとんど降りて、ながさき号車内はがらがらとなりました。
さすがに前日はほとんど寝なかったので、下り最終の車内ではほとんど寝てしまったと思います。
いつものように長崎駅に着いて、セレモニーもありませんでした。
だから、下り最終ながさき号の写真はほとんどありません。
こういう終わり方は、なんかさびしく、長崎駅に到着後は脱力したような気がします。
次回は、京都と出雲市間を走っていた客車鈍行の山陰号の最終日のことを書く予定です。
さよならながさき号の記念入場券が出てきました。
当時の新聞記事です。