2012年03月16日

消えていった列車たちの思い出

今日は300系のニュースが流れています。

青函連絡船の思い出はさっき、書きました。

ちょうど3年前には、東京駅発着の、最後まで残った「はやぶさ・富士」がなくなったのが、平成21年3月13日でした。
名古屋駅に見に行きました。ビデオも撮りました。
今日の300系は、そんな気合も入らず、テレビだけです。

今日のニュースで、「日本海」の最後を見ていると、3年前を思い出します。300系よりも日本海のほうが、見ていて、身に染みます。

平成9年、1997年には、信越本線、横川、軽井沢間、いわゆる横軽が廃止されました。EF63が、特急あさまが消えました。
EF66やEF63といった機関車たち、重厚です。やっぱり、ビデオを観ても、感動です。

最近は鉄道趣味が脚光を浴びて、ずいぶんとニュースにも特集されています。
NHKは鷹巣駅から日本海号を生中継しています。
客車列車、寝台車、いいなあ、NHKナイス中継です。

なんで、無くなっていくのだろう。
赤字だから、儲からないから・・・
鉄道の役割は・・・、時代の流れ・・・

大越アナ、結構、昔の寝台特急の名前を知っている。好感度アップ。

そのほかにも、消えた列車、消えた路線、思い出はたくさん、増えていくばかりです。

  

Posted by よっぱらいくま at 21:27Comments(0)TrackBack(0)懐かしの列車

2012年03月16日

青函連絡船

今日は、明日からのダイヤ改正でなくなる列車たちのことを、ニュースでたくさんとりあげてくれています。
新幹線初代のぞみ号の300系、寝台特急日本海号などが、テレビに映っています。
300系を見送るたくさんの若い人たち。

私にとっては、いろいろな列車たち、古い車両が消えてきたけれども、一番の思い出、そして、一番好きだったのは、青函連絡船でした。

昭和63年3月13日に、青函トンネルの開業と同時に、青函連絡船はなくなりました。あれから24年が過ぎました。
私の年齢は48歳。ちょうど人生の中間地点で、青函連絡船はなくなってから、人生の半分の年月が経過したと思うと、感慨深いです。

青函連絡船がなくなった頃は、世はバブル景気の真っ只中。
バブル景気をとやかく言う気はありません。しかし、今の日本は、コスト縮減だなんだとみんな後ろ向き、給与が高い組織は叩かれ、足の引っ張り合いばかり。あの頃は勢いが、活気がありました。今の時代よりずっとましでした。

私にとって3月13日は特別な日、青函連絡船の命日です。親の命日は忘れても、毎年3月13日は忘れず欠かさず、青函連絡船をしのんで、自作のビデオを観ながら、酒を飲みます。
でも今年は、13日にはこだわらないで、要するにすっぽかして、今日、300系のニュースも見ながら、青函連絡船を偲んで、飲んでいます。さすがに最近は、こだわりもなくなってきました。

当時は、石原慎太郎が運輸大臣でした。私は、青函トンネルを通って青森から函館に着いた一番列車から降りる石原慎太郎を、函館駅で目の前でビデオに撮りました。

青函連絡船を知っているのも、今の40歳代以上なのが現実なんでしょうね。津軽海峡冬景色の歌詞の意味も、若い世代はわからないんだろうなあ。  

Posted by よっぱらいくま at 19:51Comments(1)TrackBack(0)青函連絡船