2020年12月19日
居組駅 無くなってた!
今回、米子から山陰本線に乗って大阪へ向かう中、鳥取から浜坂行きに乗っていました。
廃駅になった訳ではありません。
居組駅に到着してふと、車内から駅舎を見ると、なんと駅舎がない。
正確に言うと、立派な古い駅舎がなくなり、小さなコンクリート造りの小屋みたいになっていたのです。
えー、なんですと。建替えちゃったんですか。
古い佇まいの居組駅は、私が一番好きな駅でした。
今の駅は、コンクリートの安っぽい、昭和の公衆便所みたいだよ。
正面は見ていないけれど。
在りし日の居組駅
今の居組駅
同じ位置での、昔の車窓から。
現在
跨線橋もなくなり、2番3番ホームも朽ち果てていくのでしょうか。
だいぶ前から跨線橋は使用中止になっていたけれど。
2番3番線のレールもあったけれど。
在りし日の居組駅
時間を作って、何回も途中下車したけれど、もう二度と降りることはないでしょう。
しかし、なんで建替えたのか。火事とかで焼失したとか、不可抗力だったのかなあ。
廃駅になった訳ではありません。
居組駅に到着してふと、車内から駅舎を見ると、なんと駅舎がない。
正確に言うと、立派な古い駅舎がなくなり、小さなコンクリート造りの小屋みたいになっていたのです。
えー、なんですと。建替えちゃったんですか。
古い佇まいの居組駅は、私が一番好きな駅でした。
今の駅は、コンクリートの安っぽい、昭和の公衆便所みたいだよ。
正面は見ていないけれど。
在りし日の居組駅
今の居組駅
同じ位置での、昔の車窓から。
現在
跨線橋もなくなり、2番3番ホームも朽ち果てていくのでしょうか。
だいぶ前から跨線橋は使用中止になっていたけれど。
2番3番線のレールもあったけれど。
在りし日の居組駅
時間を作って、何回も途中下車したけれど、もう二度と降りることはないでしょう。
しかし、なんで建替えたのか。火事とかで焼失したとか、不可抗力だったのかなあ。
2020年12月19日
浜坂駅 今昔
山陰本線 浜坂駅、冬の浜坂はカニ。おいしい松葉カニが、城崎温泉あたりの高級旅館に比べはるかに廉価に食せます。
そんな浜坂は今、優等列車は播但線経由のはまかぜが一日2往復しかありません。昭和の時代は、大阪、京都を結ぶ特急、急行が何本も停車していたし、寝台特急出雲も停車していました。
鳥取は京都・大阪とを結ぶ智頭急行経由の「スーパーはくと」や、岡山とを結ぶ「スーパーいなば」があり、米子、松江、出雲市は岡山からの伯備線経由の「やくも」が、それぞれ頻発しています。
山陰本線の城崎温泉-鳥取間は、優等列車に見放された、不便なローカル線状態です。
近代化という点でも、この城崎温泉-鳥取間は、餘部鉄橋のコンクリート橋への架け替え以外、近代化からは取り残されています。
そんなところだから、雰囲気は良いです。
浜坂駅自体も、昔からほとんど変わっていないイメージです。
要するに「好きな駅」、「好きな路線」です。
駅前の景色も昔とほとんど変わっていません。
「鉄子の部屋」という、ミニ鉄道資料館があります。
改札と1番線が直結する2面3線ホーム、貨物用の引込線もある、典型的な「国鉄亜幹線標準型」の駅です。
蒸気時代の給水塔も残っています。
現在
昭和58年頃。
この頃は、2番3番ホームには売店とそばうどんスタンドもありました。
現在
昭和58年頃
カニの街
そんな浜坂は今、優等列車は播但線経由のはまかぜが一日2往復しかありません。昭和の時代は、大阪、京都を結ぶ特急、急行が何本も停車していたし、寝台特急出雲も停車していました。
鳥取は京都・大阪とを結ぶ智頭急行経由の「スーパーはくと」や、岡山とを結ぶ「スーパーいなば」があり、米子、松江、出雲市は岡山からの伯備線経由の「やくも」が、それぞれ頻発しています。
山陰本線の城崎温泉-鳥取間は、優等列車に見放された、不便なローカル線状態です。
近代化という点でも、この城崎温泉-鳥取間は、餘部鉄橋のコンクリート橋への架け替え以外、近代化からは取り残されています。
そんなところだから、雰囲気は良いです。
浜坂駅自体も、昔からほとんど変わっていないイメージです。
要するに「好きな駅」、「好きな路線」です。
駅前の景色も昔とほとんど変わっていません。
「鉄子の部屋」という、ミニ鉄道資料館があります。
改札と1番線が直結する2面3線ホーム、貨物用の引込線もある、典型的な「国鉄亜幹線標準型」の駅です。
蒸気時代の給水塔も残っています。
現在
昭和58年頃。
この頃は、2番3番ホームには売店とそばうどんスタンドもありました。
現在
昭和58年頃
カニの街
2020年12月19日
餘部駅 今昔
久々に餘部駅を訪問しました。前回、コンクリート橋完成直前以来です。この区間はキハ47が健在です。普通列車を降りて次の列車までり約1時間15分、時間を持て余すかと思ったけれど、道の駅やら何やらが整備されていて見所が増えていて、その間特急も1本通過するので撮影と、あっという間でした。
現在
約40年前
現在
ホームの位置は変わっていません。12系が止まっている線路が、現在のホームの右にある廃線跡で、左側の現在線は昔のホームの左の裏山を削って出来ました。削った跡にコンクリート擁壁が出来ています。
平成初め頃
昭和58年頃
平成19年
現在
現在のホームの左側の旧線跡に、DD51牽引の客車列車が止まっています。右側の現在線は昔のホーム裏山を削ったところにで敷かれています。
昭和58年頃
現在
平成22年
平成3年
現在
平成22年
平成1桁頃
現在
平成22年
平成3年
昭和61年
現在
平成22年
現在
平成22年
コンクリート橋台用の仮橋台も設置して、鉄橋の橋台まわりにコンクリート橋用本橋台を構築して、鉄橋を撤去後に横にずらしてコンクリート桁を乗っけたことがわかります。
旧鉄橋の上。真下も見えます。
現在
約40年前
現在
ホームの位置は変わっていません。12系が止まっている線路が、現在のホームの右にある廃線跡で、左側の現在線は昔のホームの左の裏山を削って出来ました。削った跡にコンクリート擁壁が出来ています。
平成初め頃
昭和58年頃
平成19年
現在
現在のホームの左側の旧線跡に、DD51牽引の客車列車が止まっています。右側の現在線は昔のホーム裏山を削ったところにで敷かれています。
昭和58年頃
現在
平成22年
平成3年
現在
平成22年
平成1桁頃
現在
平成22年
平成3年
昭和61年
現在
平成22年
現在
平成22年
コンクリート橋台用の仮橋台も設置して、鉄橋の橋台まわりにコンクリート橋用本橋台を構築して、鉄橋を撤去後に横にずらしてコンクリート桁を乗っけたことがわかります。
旧鉄橋の上。真下も見えます。