2019年06月29日
会津若松駅 貨物ホーム跡
磐越西線会津若松駅。
駅前には貨物ホーム跡があります。
現在は駐車場として活用しています。
往時のホーム屋根を見ながら、貨物扱いでにぎやかだった頃を思いはせてしまいました。
貨物扱い拠点としてもまだ機能しているようで、コンテナとかが構内にあります。線路は走っていないようだけど。
JR貨物会津若松駅の看板を掲げた事務所から職員さんが出てきたので、話しかけてみました。
昔はもっと広くにぎやかだったこと。先に見えるスーパーのあたりも全部線路だったこと。
昭和40年代後半までは蒸気機関車がいたこと、ここは田舎だからねと。
郡山貨物ターミナルは日本最大規模の最新式貨物ヤードだったこと。
自動化されたハンプからの突放制御、自動減速装置、などなど、当時のことをいろいろと思い出すように話されました。
きっとこの方、国鉄時代の最後の頃の採用の、生え抜きの方とお見受けしました。私より少し年上です。
国鉄分割民営化を経てJRへと、たぶんご苦労されてきたと、勝手に想像してしまいました。
左が 会津若松駅駅舎、 右が貨物駅跡です。
貨物ホーム側を拡大
ホーム上に乗用車がぞろぞろと。
どこのヤードにも数多くあった照明塔が往時を忍ばせます。
現在でもコンテナ扱い拠点としての機能を維持しています。
昔の航空写真
駅前には貨物ホーム跡があります。
現在は駐車場として活用しています。
往時のホーム屋根を見ながら、貨物扱いでにぎやかだった頃を思いはせてしまいました。
貨物扱い拠点としてもまだ機能しているようで、コンテナとかが構内にあります。線路は走っていないようだけど。
JR貨物会津若松駅の看板を掲げた事務所から職員さんが出てきたので、話しかけてみました。
昔はもっと広くにぎやかだったこと。先に見えるスーパーのあたりも全部線路だったこと。
昭和40年代後半までは蒸気機関車がいたこと、ここは田舎だからねと。
郡山貨物ターミナルは日本最大規模の最新式貨物ヤードだったこと。
自動化されたハンプからの突放制御、自動減速装置、などなど、当時のことをいろいろと思い出すように話されました。
きっとこの方、国鉄時代の最後の頃の採用の、生え抜きの方とお見受けしました。私より少し年上です。
国鉄分割民営化を経てJRへと、たぶんご苦労されてきたと、勝手に想像してしまいました。
左が 会津若松駅駅舎、 右が貨物駅跡です。
貨物ホーム側を拡大
ホーム上に乗用車がぞろぞろと。
どこのヤードにも数多くあった照明塔が往時を忍ばせます。
現在でもコンテナ扱い拠点としての機能を維持しています。
昔の航空写真
2019年06月29日
磐越西線の旅3
6月下旬、昨年10月に行って以来の磐越西線キハ40系の旅に行ってきました。
会津若松駅に到着、折り返し新津行きとなります。
このキハ40系はあと2~3年で、廃止となると公表されました。
過去2回の同列車乗車の際にはほとんどいなかった、
乗車が目的と思われる新津まで乗りとおした同好の士が、
平日の金曜日にも関わらず、今回の乗車では10組程度いたことが大きな変化でした。
前々回の記事→磐越西線の旅
前回の記事→磐越西線の旅2
前日は、前回同様会津若松に宿泊、気に入ったので同じ店に行って飲みました。飲み比べセットと言いながら1杯の量が多くお得なので選んでしまいます。どれも旨いです。今回はなるべく変わった?名前の酒を選びました。
この列車の特徴は、途中何駅かで長時間停車することです。
昔ながらに駅前散歩、撮影ができます。
野沢駅は25分停車。同好の士たちも一斉にホームに駅外に降りていきます。
私も駅前を散歩、ホームでお楽しみのビールを始めました。今回も会津若松駅でしっかりと仕入れておきました。こういう雰囲気、外で飲むビールは最高です。
今月発売の鉄道ジャーナルで「列車の窓が開いた時代」と題する記事がありました。まさしくキハ40系は窓が開き、前回、前々回の旅では運よく冷房も暖房もついてない時期だったので(前回はそれを狙って時期を選んだ)、窓を開けて車窓を楽しめたけれど、今回は蒸し暑くしっかりと冷房がついていたので窓を開けることは叶いませんでした。
「窓が開いた」の記事は、まったくそのとおり!と、独特の世界、音、臭いを感じられたという記載に同感でした。
トイレのあって安心です。
こういう昭和の遺物を実体験で利用できる日も、残りわずかだと思います。
4人掛けボックスシート、開く窓、(天井の扇風機は冷房化改造で撤去)、昭和生まれで平成を生き抜いた列車は、令和のときを迎えて消えようとしています。
次は徳沢駅で列車交換のため10分くらい停車、またまた同好の士たちはぞろぞろとホームへ降りていきます。本当、前回は自分一人だったのに・・・。
そういえば、前々回の旅ではロシア出身の車掌さんに会えました。この列車の若い車掌さんに聞いてみたら、その方は今は運転士に昇進されたとのこと。
「この磐越西線も運転しているの?」と尋ねたら、「最初は電車からしか運転士になれない」と答えられました。たしかに気動車の方が、特に昭和の時代の気動車は機関車と共通するブレーキ操作だし難しいのかなと納得でした。
JR貨物以外には、機関車の運転士は少ないだろうし、養成はしているのかしら。これからも気動車運転士は必要だけど。
車掌さんにこの気動車も無くなることを確認したら、そのとおりとのことでした。
「これまで乗りとおす乗車目的の客はほとんどいなかったのに」と尋ねたら、最近は急に増えてきたとのこと。「マナーをしっかり守って楽しんでくれれば。」と言われました。その通りです。今は増えたと言っても、一人いたかいないか程度が、10人程度になっただけなんだけど。
次は津川駅で約15分停車。
津川からは新潟県側の利用者が徐々に増え始めて、五泉からは新津までの乗車がかなりあって新津に到着、約3時間20分のキハ40系の旅は終わりました。
新津駅には別のキハ40系編成が休憩中です。
次回は、雪の季節に来ようかなと誓ったのでした。
会津若松駅に到着、折り返し新津行きとなります。
このキハ40系はあと2~3年で、廃止となると公表されました。
過去2回の同列車乗車の際にはほとんどいなかった、
乗車が目的と思われる新津まで乗りとおした同好の士が、
平日の金曜日にも関わらず、今回の乗車では10組程度いたことが大きな変化でした。
前々回の記事→磐越西線の旅
前回の記事→磐越西線の旅2
前日は、前回同様会津若松に宿泊、気に入ったので同じ店に行って飲みました。飲み比べセットと言いながら1杯の量が多くお得なので選んでしまいます。どれも旨いです。今回はなるべく変わった?名前の酒を選びました。
この列車の特徴は、途中何駅かで長時間停車することです。
昔ながらに駅前散歩、撮影ができます。
野沢駅は25分停車。同好の士たちも一斉にホームに駅外に降りていきます。
私も駅前を散歩、ホームでお楽しみのビールを始めました。今回も会津若松駅でしっかりと仕入れておきました。こういう雰囲気、外で飲むビールは最高です。
今月発売の鉄道ジャーナルで「列車の窓が開いた時代」と題する記事がありました。まさしくキハ40系は窓が開き、前回、前々回の旅では運よく冷房も暖房もついてない時期だったので(前回はそれを狙って時期を選んだ)、窓を開けて車窓を楽しめたけれど、今回は蒸し暑くしっかりと冷房がついていたので窓を開けることは叶いませんでした。
「窓が開いた」の記事は、まったくそのとおり!と、独特の世界、音、臭いを感じられたという記載に同感でした。
トイレのあって安心です。
こういう昭和の遺物を実体験で利用できる日も、残りわずかだと思います。
4人掛けボックスシート、開く窓、(天井の扇風機は冷房化改造で撤去)、昭和生まれで平成を生き抜いた列車は、令和のときを迎えて消えようとしています。
次は徳沢駅で列車交換のため10分くらい停車、またまた同好の士たちはぞろぞろとホームへ降りていきます。本当、前回は自分一人だったのに・・・。
そういえば、前々回の旅ではロシア出身の車掌さんに会えました。この列車の若い車掌さんに聞いてみたら、その方は今は運転士に昇進されたとのこと。
「この磐越西線も運転しているの?」と尋ねたら、「最初は電車からしか運転士になれない」と答えられました。たしかに気動車の方が、特に昭和の時代の気動車は機関車と共通するブレーキ操作だし難しいのかなと納得でした。
JR貨物以外には、機関車の運転士は少ないだろうし、養成はしているのかしら。これからも気動車運転士は必要だけど。
車掌さんにこの気動車も無くなることを確認したら、そのとおりとのことでした。
「これまで乗りとおす乗車目的の客はほとんどいなかったのに」と尋ねたら、最近は急に増えてきたとのこと。「マナーをしっかり守って楽しんでくれれば。」と言われました。その通りです。今は増えたと言っても、一人いたかいないか程度が、10人程度になっただけなんだけど。
次は津川駅で約15分停車。
津川からは新潟県側の利用者が徐々に増え始めて、五泉からは新津までの乗車がかなりあって新津に到着、約3時間20分のキハ40系の旅は終わりました。
新津駅には別のキハ40系編成が休憩中です。
次回は、雪の季節に来ようかなと誓ったのでした。